即行動②
前回、GreeeNの『扉』という曲について書いた。
「即行動」ということば以外にも、印象深いことばがあったので、これから紹介する。
【印象に残ったフレーズ】
「意味がないとただ決め付けて 扉閉めてるんだ
見えないよう 聞こえないようにしてるだけ
明日が何が出来るかなんて 君が決めるだけ」
意味がないと決めつける
なぜか、この歌詞が心に響いた。
自分自身、意味がないから、止めておこうと思ってしまうことが沢山あるからだ。
なぜ、「意味がない」って思ってしまうんだろう。
最近、こんなことがあった。
大学時代からの友人と神田の居酒屋で、一杯飲んだときのこと。
お酒が入ると、その友人とは熱い話になることが多い。
だいたい、どうでもいい下ネタか、人生観や生き方の熱い話をする。
そのときに、友人から衝撃的なことを言われたのだ。
「こうしなきゃいけない」、「できない」、「でも」
僕が、熱い話をしているときに、よくこの3つの言葉を使っているというのだ。
否定的な言葉を繰り返し、使っている。
どうやら、僕はじつはネガティブマンになっていたみたいだ。
なぜだ。。。。泣
ぼくはなぜ、ネガティブマンになってしまったのか、自分なりに考えてみた。
他人のものさし
理由のひとつに、「他人のものさし」で物事をみてしまうことにあると思うのだ。
他人のものさしで生きるってどういうことか。
たとえば、仕事で考えてみよう。
仕事をしていると、「仕事の出来るひと」と「出来ないひと」で見られてしまうし、自分もそういう目で、他人を見てしまう。
僕も仕事で言われたことをこなせなくて、帰り道や家で落ち込むことがよくある。
なんで、落ち込むかというと、周りのひとに言われるからだ。
「なんで、できないの?」「はやくできないの?」
こういう、言葉を繰り返し聞くと「ああ、自分はできない奴なんだ」と気持ちが下向きになるのだ。
でもね、「仕事ができる」ことが本当にすべてなのかな?
これって、じつは世間のものさしで捉えてしまっている。
世間のものさしは適当だ。今日は褒められても、明日は違うことを言われるかもしれない。
ぜったいに、「こうじゃなきゃいけない」と思うと、心が辛くなるもの。
だから、「できない自分」を許してもいいんだと思うことが大事なんだ。
自分のものさし
自分のものさしってなんだろう?
これは、自分で「基準を決めること」だ。
「しなきゃいけない」の反対は、「こうしたいな」と思うこと。
「こうしたいな」と考えると、自分のなかに基準ができる。
だれかが決めた基準に従うのではなくて、自分のなかで決めた基準。
たとえば、英語の勉強をしたい人がいたとしよう。
●誰かの決めた基準。
⇒英語を勉強しておけば間違いないといわれた。興味ないけど、馬鹿にされないように勉強しよう。
●自分のなかの基準。
⇒外国人の友達と話したいから、英語を勉強する。
例みたいに、「英語をしないといけない」と「~のために英語をしたい」の違いでモチベ―ジョンは変わる。
物事の捉えかた次第で、同じことでも印象がこんなにも変わるのだ。
ネガティブから、ポジティブになるには、自分のなかのものさしを作ってしまうこと。
自分の「こうしたい」という気持ちを大切にすることが大事なんだ。
まとめ
「 明日が何が出来るかなんて 君が決めるだけ」
歌詞にもあるように、明日何ができるかなんて、自分で決めること。
周りの誰かが、決めることではない。
「意味がないよ」と思うときって、だいたいは世間のものさしで、物事をみているときなんだ。
そうじゃなくて、自分は「こう在りたい、こうしたい」という思いを持つことが大切。
そうすれば、次の扉が開けるのかもしれないと、この歌から学んだことだ。