職人、ときどき神保町

都内周辺のコミュニティ、おススメの本、日常などを紹介します。

当たり前とは?

 

 音のない世界

 

 

 

 東京都聴覚障害者連盟青年部が主催する講演会がある。

 

この団体は東京都に住む、聴覚障害者の生活と文化や教育の水準を守ったり、聴覚障害者に対する理解を求める活動を行なっている。

 

僕は、大学時代に知り合った、ろう者の友人のつながりで、この講演会に参加してみたのだ。

 

参加している講演会の参加者は、ろう者が多かった。

 

運営者も、ろう者だ。

 

 

だから、会話はすべて手話。音のない世界。

 

 

講演会では、ディスカッションをする時間があり、近い距離でコミュニケーションをとり、とてもアットホームな雰囲気だった。

 

 

今回は、手話が第一言語の環境のなかで、自分がどう感じたかに絞って書いていく。

 

 

 

 

 

ノートテイク

 

 

 

みなさんはノートテイクという言葉を知ってるだろうか?

 

ノートテイクとは「文字通訳」のこと。

 

講義の際にろう者の隣席で、ろう者の「耳の代わり」となり、講義内容や教室内でおこっていることを忠実に聞き取り、筆記やパソコンのワードに文字を打ち込む。

 

ろう者の友人が大学時代にこのノートテイクを耳が聞こえる聴者にやってもらっていた。

 

ぼくも1回だけ大学生のころ、その友人のノートテイクをしたことがある。しかし、教室内での状況を文字で伝えるのは、難しかった記憶がある。

 

 

今回の講演するひとは手話で話す。グループデスカッションも手話。休憩時間も手話。

 

ぼくは、指文字と簡単な手話しか分からないので、相手が何を伝えようとしているのか理解できない。

 

なので、今回は反対に、僕が友人にノートテイクをしてもらい、内容を理解できるように情報保障をしてもらったのだ。

 

f:id:tommy-manabi:20180930195331j:plainろう者の友人が隣に座り、教室内での状況をパソコンのワードで、分りやすく伝えてくれた。

 

 

 

 

健聴者がふつうに声を出して話すけれど、反対にろう者が当たり前のように手話で会話する。

 

 

ようするに、この場所では健聴者がマイノリティ(少数)なのだ。

 

手話は言語だ

 

講演とディスカッションは目にも止まらぬほどの、高速に感じる手話。

 

 

指文字で、ゆっくり自分の考えを説明できるような雰囲気ではなかった。

 

f:id:tommy-manabi:20180923223449j:plain指文字で伝えるためには、スピードがないと相手との会話のリズムがあわなくなくなる。

 

とくにグループディスカッションでは、自分の意見を言うのをためらった。なぜなら手話での表現力が乏しいからだ。

 

たとえば、「人間が生きていくには何が必要か?」と意見を求められたときに、頭に考えは浮かぶけれど手話に置き換えることができない。

 

まるで、アメリカ人のなかに日本人が紛れているような感覚。英語が第一言語みたいなイメージに近い。

 

 

英語が第一言語の国の人と深い話をするには、英語力が必要なのと同じ。

 

 

 

要するに僕が思ったのは、手話は健聴者とろう者を橋渡しするサポーター的な役割じゃないということだ。

 

 

 

 

 手話は英語と同じように確立された言語なんだ。

 

 

 

当たり前って?

 

 

大学時代を振りかえってみる。

 

 ろう者の友人は、大学の講義のなかで聴者と一緒に授業を受けていた。ノートテイクはしてもらって、最低限の情報保障を大学側から受けていた。

 

 

たまに視界に入る、その友人のうしろ姿をみて、どんな気持ちでいるのかを真剣に考えたことがなかった。

 

なぜなら、自分にとって、教授の授業している声が聞こえて当然。

 

グループディスカッションでは、意見を聞いたり、話せることは生まれてからずっと、当たり前だったからだ。

 

 

周りに受けている学生もそれが当たり前だった。

 

 

けれど、今回のろう者が過半数の講演に参加してみて、思ったことが分かったことがある。

 

自分だけが手話を圧倒的に理解できないので、情報保障をしてもらう立場。

 

 

「当たり前ってなんだろう?」

 

 

 

自分が少数派になって、はじめてわかった。

 

 

少数か大勢かでその場の常識は、簡単にくつがえってしまう。

 

 

自分いま、誰かの支援がないと情報を得られないだ。

 

 

情報を保証してもらえることも、こんなにも有難いことだってことを知った。

 

 

 

それは、自分ごとになって、やっと分かること。

 

 

今回、ぼくが手話経験が少ないということを知って、ろう者の運営者と友人は様子を見ながら、内容についてこれるように気を遣ってくれた。

 

 

きっと自分が、同じような経験をしているから、人にも優しくできるし、相手を理解することができるのだと思う。

 

 

相手を本当に理解したいんだったら、自分も同じことをまずは、経験してみることって大事なんだ。

 

 

 

 

 

 もっとたくさん、コミュニケーションを取りたいな。そのために、手話を出来るようにするぞ!!!

 

 

 

スープカレー屋オオドリー

 

スープカレー屋オオドリ―

 

 

 

 

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神田にあるカレー屋。

 

このお店では、ただのカレーではなくスープカレーが出てくるのだ。

 

 

学生のときに、有名なお店ということは噂で聞いていた。

 

でも、「何で人気なんだろう?」と不思議だった。

 

実際に足を運んでみて、おすすめだと思ったポイントを2つだけ、書いていこうと思う。

 

 

スープカレーと野菜の相性

 

スープカレーと聞いて、「味が薄いんじゃないの?」と偏見を持っていた。

 

実際に食べてみると確かに薄い。でも、具の野菜と相性がいいのだ。

 

スープや汁物に野菜が入っている感覚。

 

違和感がまったくないのだ。スープが目立ちすぎないで、野菜の本来の味を生かしている。

 

 

 

f:id:tommy-manabi:20180930013119j:plain1、スープは黒と赤を選べる。

 

 

 

 

 

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2、辛さを選ぶ。

 

 

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3、具を選ぶ

 

 

 

 

f:id:tommy-manabi:20180930012106j:plain野菜カレー。具はピーマン、ナス、ジャガイモ、にんじん、たまねぎ、ゆでたまごが入っている。スープの触感と、野菜の組み合わせが見事にマッチしている。

 

 

 

②ライスおかわりOK!

 

カレーを食べるとき、ルーとライスどちらを多くスプーンに乗せるだろうか?

 

多くのひとがルーをのこしといて、ライスをおかわりする。

 

そんな、学校給食のようなことができるお店がオードリーだ。

 

よーく、メニュー表を見ていると。

 

 

f:id:tommy-manabi:20180930014617j:plain最初、気づかなかったが何とライスがおかわり自由なのだ。ライスをおかわり自由のカレーは、初めての経験で間違いではないか何度も見直した。

 

 

 

800円でご飯をおかわり自由。それは人気になると、納得した瞬間だった。

 

 

オードリーという名前の由来 

 

 

これには、いろんな説がある。

 

大きな鳥、オーナーがオードリー・ヘップ・バーンを好きという説。ほかにも、何個かある。

 

それよりも、お店の名前の由来を店員に尋ねたときに、忙しいなかでも誠実に答えてくれた店員さんがもしかしたら、オードリーが人気の秘密なのかもしれない。

 

ご飯のおかわり自由もお客さんを喜ばしている。

 

このお店のオーナーは、きっとひとを楽しませるのが好きなのかな、と思いを馳せてみた。

 

 

●お店の詳細

 

【住所】

東京都千代田区神田小川町3-10-18

 

 

食べログ

 

 

『ろう者のトリセツ聴者のトリセツーろう者と聴者の言葉のズレ』

 『ろう者のトリセツ聴者のトリセツーろう者と聴者の言葉のズレ』

 

 

 

ろう者のトリセツ聴者のトリセツ―ろう者と聴者の言葉のズレ

ろう者のトリセツ聴者のトリセツ―ろう者と聴者の言葉のズレ

  • 作者: 関西手話カレッジ,野崎栄美子,矢野一規,中上まりん,柴田佳子,寺口史和,磯部大吾
  • 出版社/メーカー: 星湖舎
  • 発売日: 2009/11
  • メディア: 単行本
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この本は、ろう者の友人に勧められたので、借りて読んでみた。

 

ここでは、「ろう者」と「聴者」の言葉のズレをわかりやすく、イラストを付けて紹介しているのだ。

 

 

ぼくは「ろう者」と「聴者」という言葉に慣れない。

 

 

なぜなら、ふつうに下ネタや、くだらない話をしたりするからだ。

 

 

手話が難しくて、コミュニケーションは取りづらいけれど(泣)

 

 

 

 

 

でも、「ろう」ってじつは奥深いんだ。

 

 

独自の文化があったり、コミュニティがある。

 

 

今回の本にも出てくる、ろう者と聴者での言葉のズレもそのひとつ。

 

 

たとえば、私生活でも言葉のズレが生まれる。

 

ここで、例を出してみよう。

 

 

 

「2時10分前」

 

 

 

友達と待ち合わせたときに、

 

 

「2時10分前に集合してね!」

 

と言われたら、みなさんは何時に行くだろうか?

 

 

 

 

 

聴者:2時の10分前だから、1時50分には着くようにいこう!

 

ろう者:2時10分少し前か。2時7分にいこう!

 

 

 このように、この言葉を聞いて、聴者とろう者では集合時間が変わるのだ。

 

 

聴者が手話で「2時10分前」と表すと。「2時10分前」ではなくて、「2時10分の少し前」という手話表現になっていることが多いという。

 

だから、聴者は「1時50分」に集合とハッキリ言えば分かりやすい。

 

 

この本が伝えたいこと

 

 

 この本のねらいは、ろう者と聴者の言葉のズレを「知り」、そして認めること。

 

ズレているから「直す」ことが目的ではないんだ。

 

 

手話は日本語とは違う独立した言語であることを伝えようとしている。

 

 

ただ、手話をする機会って滅多にないと思う。そしてろう者と出会ったことがないという人がいるかもしれない。

 

 

ぼくも、ろう者の友人と出会うまではそうだった。

 

 

 

少しだけ、ぼくが手話と出会った経緯を書いていこうと思う。

 

 

手話を知ったきっかけ

 

 

 

ろう者の友人とは大学2年生の教職のクラスで、出会う。

 

 

教職は学校の教師になるための資格を取るための過程。高校のようにクラスを作り、週に1回ほど集まって、研究発表をしたり、模擬授業をすることがあった。

 

 

週に1回ある、クラスでの集まり。

 

 

ろうの友人が皆の前で、手話を使っているのを見て、「耳が聞こえないのかな?」というのはすぐ分かった。

 

 

 

「手話って難しそうだなぁ」

 

 

一緒の空間にいるのに、ろう者の友人とは遠い存在のような気がしていた。自分とは無縁だとさえ、思っていた。

 

 

しかし、勇気を出して週1回のクラスの集まりのあとに、声を掛けてみると、いつの間にかろう者の友人に手話を教えてもらうことになる。

 

 

そこから、少しづつ仲良くなってコミュニケーションを重ねていくと、ろう者の気持ちが分かってきたのだ。

 

 

たとえば、ろう者しかいない空間で、聴者は自分ひとりになることがあった。

 

ろう者の友人の誘いで、ろう者だけのグループに混ざったのだ

 

 

そのときの第一言語は、もちろん「手話」。

 

 

ろう者のみんなが楽しそうに笑っているのに、自分だけ周りがどんな会話をしているのか、理解できない。

 

ひとり会話に置いて行かれる寂しい気持ち。そして、なんといってもソワソワした不安な気持ちになった。

 

 

外国人のなかで、自分だけ日本語しか喋れない状況を思い浮かべてほしい。

 

それと全く一緒。

 

逆の立場になって、ろう者の気持ちが理解できた。


聴者の集まりのなかでは、ろう者はきっと、息苦しいんだ。

 

 

身近のことや、自分ごとにならないと、人の痛みって分からない。

 

 

この文章をみても、きっとろう者は遠い存在、関係のない話のように思えるかもしれない。

 

 

 

ぼくも一緒で、ろう者の友人と出会うまでは、関係のない世界だと思っていたから。

 

 

 

でも、ろう者の友人と出会って変わった。

 

 

そして、いまでもたまに会って意識高い話をしたり、くだらない話をしたりする関係が続いている。

 

 

 

tommy-manabi.hatenablog.com

 


 

 

その友人は聴者とろう者の壁をなくそうと、活動している。

 

 

最近、会ったときに印象的だったのが「相手に理解を求めるんじゃなくて、自分から理解してもらえるようにする」と言っていたことだ。

 

できないことを、周りせいにして諦めるのではなくて、まずは自分が変わること

 

 

まわりにものさしを置くんじゃなくて、じぶんにものさしをおくことが大切なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝王学

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コミュニケーション

 

今日の仕事のなかで、人を動かすにはどうしたらいいかを考えるキッカケがあった。

 

僕が働いている会社では、従業員の人間的な成長を重視している。

 

なので、日々の仕事でよく、指摘されるのは人間的部分と、習慣。

 

今日は、対ヒトとのコミュニケーションのことで、学んだことを書いていく。

 

 

  

帝王学とは?

 

 

帝王学という言葉を知っているだろうか?

 

 辞書ではこう書いてある。

 

具体的には突き詰めたリーダーシップ論とでも言うべきものである。経営術や部下を統制する方法といった限定的なものではなく、様々な幅広い知識経験作法など、跡継ぎとしての人格や人間形成に到るまでをも含む全人的教育である。

また、いわゆる学校での教育という概念とは根本的に異なり、自分の家系を後世へ存続させ繁栄させる、という使命感を植えつけることを目的としている。

       「 wikipedia引用」

 

 

ようするに、築かれてきた家系を守るために、跡継ぎをイッパシの人間に育てることを目的とした学問のことだ。

 

 

この帝王学のリーダーシップ論は、働くときや人とのコミュニケーションにも応用されている。

 

 

社長の帝王学

 

 

 同僚でもある、友人はよく僕を叱ってくれる。しかし、ぼくはいつも人間的な壁にぶつかることが多い。

 

同僚に叱られたくないという感情が優先されてしまうのだ。

 

職人になってから、8年めの友人は仕事の考えかたやスキルが圧倒的だ。

 

隙があれば、すぐに指摘してくれる。

 

その様子をそばでよく見ている、社長がアドバイスしてくれたことが3つある。

 

 

 

相手の温度まで、上げていく

 

 

働いていて、上司とうまくコミュニケーションが取れないことはないだろうか?

 

 

ミスをしたときのあたりが強かったり、話しかけても不機嫌だったり。

 

 

なにをやっても、叱られてしまうという悪循環にハマってしまうのだ。

 

そして、仕事場の環境が合わないからと、辞めたり転職してしまう人がいる。

 

 

じつは、この原因は温度差が違うってことにあるんだ。

 

 

 

たとえば、自分が都内のカフェで1日だけ、店長をやっているとする。

 

 

今日は、仲のいい友達や家族がお店にお客さんとして、来てくれる特別な日。

 

仕事が忙しいなか、遠くからやってきて、自分のために会いに来てくれるのだ。

 

そこで、一人ではお店が回らないので、カフェの運営を知人のA君に手伝ってもらう。

 

あなたは、仲のいい友達や家族を心の底から喜ばせたいと思っている。

 

 

なのに、A君はオーダーを間違えたり、お客さんを気遣えない。

 

 

 

この姿を見て、あなたならどう感じるだろう?

 

 

僕なら、A君に不満を持つ。

 

「おれはこんなにも、お客さんを喜ばせたいのに、A君は...!」と。

 

 

 

このたとえで、伝えたいのは責任の重さで温度差が変わるってこと。

 

 

仕事にも、社長の責任。上司の責任。従業員の責任がある。

 

 

社長は契約して、お客さんからお金をいただく責任がある。

 

上司にも、社長から言われているタスクがある。そのタスクを受けて、上司もいい報告を上にあげたい使命感がある。

 

なのに、従業員がその日の仕事になんとなく来ていたら、大きな温度差が生まれてしまうのは無理もない。

 

 

 

だから、従業員も自分の割り振られた仕事に、責任を持ってこなすことが大切なんだ。

 

 

ほしいものを得るために嫌なことを食らう

 

 

 温度差があるのは分かった。

 

 

じゃあ、どうしたらいいんだろう?

 

 

それは、欲しいものを得るために嫌なことを食らうこと。 

 

 

たとえば、上司との関係がうまくいって、仕事がやりやすいという結果が欲しいとする。

 

 

でも、現実はよく叱られるから、なるべく上司を避けたい。顔も見たくないと思ってしまうこともある。

 

当たり前だ。でもね、嫌なことから逃げていると、自分が欲しい結果は得られないんだ。

 

 

自分が欲しい結果が欲しいときは、ぎゃくに自分が嫌だなと思うことをやってみること。

 

 

上司が嫌なら、自分からあえて近づいてみる。

 

 

すると、自分が叱られていた理由が分かったり、相手の気持ちが分かったりするものだ。

 

 

だから、ほしいものを得るためにあえて、嫌なことを選択してみることは、やってみる価値があると思う。

 

 

 

明日のことを3分だけ考える

 

温度差をなくすための行動として、明日の段取りをすることがある。

 

 

社長が言っていたのは、「お風呂で明日のことを3分イメージするだけで、人生が変わる」ということ。

 

 

 スキルや経験が勝る同僚や上司と同じ温度差で、働くには前日からの段取りしかない。

 

 

 頭で明日のことをイメージするのは、タダ。そして経験やスキルなんて関係ない。

 

 

毎日は容赦なく、刻々と過ぎさっていく。


そのままにすれば、ただ日々は流れるように過ぎていく。


その流れる日々をキャッチするために、昨日から準備を始めること。





想像はしたもんがちだ。

 

 

すべては対ヒト

 

 

以上3つのアドバイスは、仕事だけでなくて、夫婦生活にもあてはまるという。

 

人とひとが密にかかわりあうのは、仕事だけじゃない。

 

プライベートでも、家族と過ごすときも必要になってくる。

 

 

いかに、「相手の気持ちに立てるか」。

 

 

よく言われる言葉だけど、ほんとうに奥が深いんだ。

 

 

 

 

 

 

パラドックス

 

今回は、今日1日で思ったことや、気づきを書いていく。

 

 

 

『カメとウサギの話』

 

 

 

今日、仕事の移動中に社長から言われたことばだ。

 

 

ウサギとカメが競争したら、お調子もののウサギは休憩を繰り返しながら、目的地へ進む。

 

 

カメは自分のペースで着実と少しづつ、目的地へと進んでいく。

 

 

さいころから知っているお話。

 

 

このウサギとカメに当てはめると、ぼくはどうやら、カメらしい。

 

 

不器用だし、覚えも遅い。

 

 

じゃあ、ウサギに勝つにはどうしたらいいんだろう?

 

 

社長が言うには、「計画」をしっかり持つことが大事らしい。

 

 

 

時間を支配する

 

 

 

1年は365日ある。一か月は30日。1日は24時間。

 

 

この時間をどう管理するかで、ウサギとカメの競争の行方は決まる。

 

 

自分の生活を振り返ると、時間に押されているのに気付いた。

 

 

朝は出勤のギリギリに起きたり、次の日の準備を何となくで、済ませる。

 

 

そう思うと、1日が上手くいかないのは当たり前かもしれない。

 

 

時計を気にして動くひとか、うごかないひとで差が出てくるのだ。

 

 

 

 

ないないから、たいたいへ

 

 

 

 

ぼくは、できないことや失敗すると、「なんで俺は出来ないんだ」とか「周りにガッカリされるんじゃないか」と考えてしまうことがある。

 

 

でもね、よく考えてみると、自分の思い込みで悩んでいることが多いんだ。

 

 

たとえば、「仕事ができるひとがすべて」という前提。

 

 

そう考えると、仕事でミスをして、だれかに叱られたら自分を責めてしまう。

 

 

「なんで、言われたことできないんだろう」って。

 

 

「しっかりしなきゃ」「できないといけない」という前提は、周りや自分が作りだした常識だ。

 

世間のものさしであって、それがぜったいに正しいとは限らない。

 

 

 

だから、何事もミスをしたときは、自分を許してあげることから始めよう。

 

 

「こんな自分もいいじゃん。」と受け入れてあげること。

 

 

そうすると、失敗を引きずらないで、次にやらなきゃいけないことが見えるようになっていくんだと思う。

 

 

自分にベクトルを

 

 

 

「できなきゃいけない」というマイナスの発想は、自分を苦しめるし、物事がうまくいかない。

 

 

周りの評価に重点をおくのではなくて、自分がしたいことを達成するために、「出来る必要がある」ことを頑張る。

 

 

ぼくだったら、友達と手話で日常会話がしたい。そのために手話を覚えたい。

 

そして、カンボジアでお世話になった親友と英語で話したいから、英語を話せるようにしたい。

 

 

 

このように、「誰かにこう思われるから」という周りの評価じゃなくて、「自分がどうしたいか」という、自分に重きをおく考えの方が、きっと楽しい。

 

 

 

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『ヒントは「宗教力」にあり』

 

この本を読もうと思ったキッカケ

 

きっかけは「宗教ってそもそも、なんだろう?」という興味を持ったからだ。

 

宗教団体に属している友達や、そういう知りあいと出会うと勧誘されることもあった。

 

しかし、そのときには決まって、「無宗教だから、ごめんなさい。」と答える。

 

 

ぼくのなかで宗教とは、ぼんやりとよくないイメージがあったからだ。小さいころから、自然とそう思うようになっていた。

 

 

しかし、身の回りのことを考えてみよう。

 

 

会社や学校、サークル、家族などのコミュニティに属すと、その中に存在する「方針」や「考え方」に染まる。

 

それは、まるでキリスト教イスラム教のような宗教と変わらないじゃないか。

 

エスが社長、牧師が部長、聖書が規則、社員が教徒。

 

 

 

気付けば、ほとんどの人間が絶対的な存在を信仰している。見えない、「なにか」に。

 

 

無宗教であっても、知らぬまに宗教と同じことをしている。

 

 

はるか昔から宗教は存在している。そしていまでも。

 

きっと、続いているのには「理由」があるはず。

 

 

だから、人間の営みと共存していった、宗教について少しでも学ぼうと考えた。

 

 

『ヒントは「宗教力」にあり』

 

 

 

ヒントは「宗教力」にあり

ヒントは「宗教力」にあり

 

 

 

 

この本は、経済評論家の日下公人さんと、宗教評論家のひろさちやさんが「これからの時代」をどう生きていくか、対談形式で書かれている。

 

ひろさちやさんの宗教的な視点と、日下公人さんの経済の現実的な視点から、世の中に物申すところが特徴。

 

今回は、この本を読んでみて、面白いと思ったことをまとめてみた。

 

無宗教の国、日本?

 

明治時代に政府は、神々を崇める神道と仏教をむりやり分けてしまった。

 

しかし、自然の神様や先祖を大切にする習慣は僕たちの周りにはたくさん、残っているのだ。

 

 

 

突然だけど、お正月ってなんのためにあるか知っているだろうか?

 

 

実は、正月はお盆と同じ行事。先祖を迎え入れるための日なのだ。

 

むかしから、日本では先祖崇拝や霊魂といっしょに暮している。

 

 

 

お正月の門松は、先祖がどこに帰ったらいいか分かるための目印。大掃除は先祖を迎え入れる祭場を綺麗にするため。そして、神様にお供えしたあとに餅を、みんなで一緒に食べるためにごったかえす、ごった煮。つまり「雑煮」というようになった。

 

テレビでよく見かける、相撲も農作物の豊作を祈るために行われるようになった行事でもある。

 

じつは、気づかないだけで僕たちも、神様や祖先を信仰する行事をおこなっているのだ。

 

 

損得勘定でうごく日本人

 

 

日本人は損得でしか、物事を判断しないという。

 

たとえば、「脳死」がそうだ。

 

脳が死んだ人間の心臓が利用できるから、殺した方がましだという考え。

 

人を殺して得をするなら、人を殺しもいいということになってしまう。

 

 

あなたなら、子供に「なんで人を殺しちゃいけないの?」と聞かれたら、何と答えるだろう?

 

 

 

 

 

 

これは、答えのない問いかもしれない。日本では、学校の道徳の授業でこういった話し合いをするかもしれないが、教えれくれるのは結論の「殺人はよくない」ということだけ。

 

 

 

 

これまで損得勘定の世界だと、殺人はやってもいいことになってしまうことを話した。では、日本以外のことも書いていきたい。

 

イスラム世界の罪には、ハックアラーとハックアーダミーの2種類ある。

 

それは、神に対する罪と人間に対する罪ということ。

 

神に対する罪は5つ。

 

「嘘をつく」、「泥棒をする」、「姦通をする」、「強盗をする」、「飲酒をする」ことだ。

 

 

 

つまり殺人は、人間に対する罪になる。

 

では、人間に対する罪はどう対処するのか?

 

それは、目には目を、歯には歯を」ということになる。

 

この言葉を歴史の授業で聞いたことがあるかもしれない。

 

これは、ハンムラビ法典に書いてある報復するための規律だ。

 

 

イスラムでは、同じだけの痛みを相手に与える。しかし、日本ではもらった苦しみ以上の報復を相手に与えようとすることがある。

 

 

イスラムでは人を殺せば、自分が即座に殺される。それは無制限ひとを殺さないようにするための知恵でもあったのだ。

 

 

愚問

 

 

インドの思想で「愚問」という言葉がある。

 

 

「答えのない問い」を愚問と呼ぶ。

 

「答えのない問い」を立てれば、たてるほど迷ってしまう。

 

考えても、かんがえても答えはないのだから。

 

せっかくの頭脳があるのだから、その考える力をもっと、目の前の問題に使うことが大事だ。

たとえば、「将来、日本はどうなるのか?」というのは誰にも予知できない。

 

 

 

やりたいことも、将来こうなってほしいなという目標を立てることも一緒だ。

 

過去を振りかえってみても、「あのとき、頑張っていれば。」と後悔していることって多い。

 

だから、それを繰り返さないためにも。

 

辛いことや、苦しくてもまずは目の前の問いに、目を向けてみよう。

 

BA型の理論とBB型の理論

 

 

 

仏教には、「如」という言葉があるという。

 

それは、「あるがまま」という意味。

 

 

あるがままといっても、すべてを許すわけでもないらしい。

 

 

世の中には、「BA型の理論」と「BB型の理論」がある。

 

 

Bはbefore(の前に)、Aはafter(のあとに)という意味。

 

 

やる前にだめ、やったあとにもそうすべきじゃなかったという「BB型の理論」が世間では多い。

 

たとえば、勉強しなくていいといって、成績が悪かったら叱ることは「BB型の理論だ」

 

 

 

そうではなくて、やったあとに褒めてあげる「AA型の理論」が人間を救うという。

 

 

 

また失敗するんじゃないかって、ビクビクせずにトライできるような、環境を作っていくことが大切。

 

 

 

でたらめに生きよう

 

 

 

宗教の世界では、「でたらめ」なことが多いらしい。

 

 

いくらお祈りしても、仏はひとを助けるわけでもない。

 

 

 

たとえば、迷ったときにジャンケンをするのを思い出す。勝つか分けるかは、運しだい。

 

 

 

人間はないものをねだったり、自分のできないことばかりに注目してしまうことがある。なんで、こんなにも肩をこわばせて、他人と比較するのだろう。

 

 

世間もものさしにとらわれたり、ひとつの尺度では生きにくい。

 

 

 

 

ジャンケンのように神頼みで、選択するように「いい加減」な気持ちも少しあった方が、いまの世の中は生きやすいんじゃないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伝えかたも段取り90%

伝えること

 

今回は、「伝え方」がテーマだ。

 

なぜ、伝え方について考えようと思ったのか。

 

それは、「伝え方」が仕事やプライベートに、大きく影響を与えることに気付いたから。

 

今日の仕事のなかで得た、「伝え方」について、大事だと思ったことが、3つあるので書いていこう思う。

 

 

 

相手に伝わるように話す

 

伝わるように話すには、3つの大事なポイントがある。

 

 

 

ひとつがまずは、短く話すこと。

 

話しがダラダラと長いと、話が終わったときに「あれ?あいつ結局、何が言いたかったんだ?」となってしまう。

 

説明が長くなってしまうのは、伝えたいことの要点がつかめていないのだ。

 

 

伝えかたも段取り90%

 

伝えたい話の要点をつかめていないと、相手に簡潔に物事を説明することができない。

 

 

仕事内容をほかのひとに伝えるとき、相手に100%伝わるようにするには?

 

 

 

それは、まずは自分が伝えたいことを完璧に、理解しているかどうかだ。

 

 

自分が理解していないのに、どうやって伝えるのか。

 

 

当たり前かもしれないけれど、そんな場面はきっとあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

そうならないためにも、自分自身でわからないことを無くす努力をしたり、調べて勉強する努力が必要なんだ。

 

 

ひとの話を聞くときも、「聞いた話を幼稚園児に伝える」と意識しておくと、緊張感を持って話を聞ける。

 

ただ、話を聞くのか。それとも、自分を追い込んで、プレッシャーをかけて聞く違いは大きい。

 

 

そして、ひとにわかりやすく伝えるということは、疑問やわからないことを理解しようとする意欲もわいてくるのだ。

 

 

社会科の先生が、生徒に授業を教えるときも一緒。

 

前日に指導案を作って、明日の授業のために段取りをする。

 

生徒は、違った角度から鋭い質問をする。

 

準備をしないと、質のいい授業はできない。

 

 

 

営業で、商品の説明するときも同じで、その商品がどんなメリットがあるか、知識を蓄えるはず。

 

 

 

 

ぜんぶ、共通しているのは伝えるためには、準備が必要だということだ。

 

 

 

 

 

 

今回のまとめ

 

伝え方で大事なのが、

 

①相手に伝わるように、話すことを心掛けること。

 

 

 ②伝えるには準備が必要だということ。

 

 

③誰かに伝えると意識して、ひとの話を聞くこと。

 

 

 

ぼくも、普段の生活や仕事のなかで、ひとに伝える工夫なんて何ひとつ考えたことがなかった。

 

いがいと、自分本位になって話を進めてしまいがち。

 

聞くときも自分の良いように、解釈してしまったりするときもある。

 

 

けど、ぼくは相手を思いやる人で在りたい。

 


伝え方には、相手をイラつかせたり、不安にさせたり、喜ばせたりする影響力がある。





お願いするときや、お店で注文するとき、仕事で業務連絡するときにも「伝える」ことは欠かせない。

 

 

 

「伝える」って行為が日常で、満ち溢れている。

 

 

 

 

 

 

「相手が理解しやすい話し方って、なんだろう?」と、常に考えること。


これは、相手の心に歩み寄るのに、大切なことなんだと思う。

 

 

 きっと、プライベートでも仕事でも変わらないはず。