職人、ときどき神保町

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『ヒントは「宗教力」にあり』

 

この本を読もうと思ったキッカケ

 

きっかけは「宗教ってそもそも、なんだろう?」という興味を持ったからだ。

 

宗教団体に属している友達や、そういう知りあいと出会うと勧誘されることもあった。

 

しかし、そのときには決まって、「無宗教だから、ごめんなさい。」と答える。

 

 

ぼくのなかで宗教とは、ぼんやりとよくないイメージがあったからだ。小さいころから、自然とそう思うようになっていた。

 

 

しかし、身の回りのことを考えてみよう。

 

 

会社や学校、サークル、家族などのコミュニティに属すと、その中に存在する「方針」や「考え方」に染まる。

 

それは、まるでキリスト教イスラム教のような宗教と変わらないじゃないか。

 

エスが社長、牧師が部長、聖書が規則、社員が教徒。

 

 

 

気付けば、ほとんどの人間が絶対的な存在を信仰している。見えない、「なにか」に。

 

 

無宗教であっても、知らぬまに宗教と同じことをしている。

 

 

はるか昔から宗教は存在している。そしていまでも。

 

きっと、続いているのには「理由」があるはず。

 

 

だから、人間の営みと共存していった、宗教について少しでも学ぼうと考えた。

 

 

『ヒントは「宗教力」にあり』

 

 

 

ヒントは「宗教力」にあり

ヒントは「宗教力」にあり

 

 

 

 

この本は、経済評論家の日下公人さんと、宗教評論家のひろさちやさんが「これからの時代」をどう生きていくか、対談形式で書かれている。

 

ひろさちやさんの宗教的な視点と、日下公人さんの経済の現実的な視点から、世の中に物申すところが特徴。

 

今回は、この本を読んでみて、面白いと思ったことをまとめてみた。

 

無宗教の国、日本?

 

明治時代に政府は、神々を崇める神道と仏教をむりやり分けてしまった。

 

しかし、自然の神様や先祖を大切にする習慣は僕たちの周りにはたくさん、残っているのだ。

 

 

 

突然だけど、お正月ってなんのためにあるか知っているだろうか?

 

 

実は、正月はお盆と同じ行事。先祖を迎え入れるための日なのだ。

 

むかしから、日本では先祖崇拝や霊魂といっしょに暮している。

 

 

 

お正月の門松は、先祖がどこに帰ったらいいか分かるための目印。大掃除は先祖を迎え入れる祭場を綺麗にするため。そして、神様にお供えしたあとに餅を、みんなで一緒に食べるためにごったかえす、ごった煮。つまり「雑煮」というようになった。

 

テレビでよく見かける、相撲も農作物の豊作を祈るために行われるようになった行事でもある。

 

じつは、気づかないだけで僕たちも、神様や祖先を信仰する行事をおこなっているのだ。

 

 

損得勘定でうごく日本人

 

 

日本人は損得でしか、物事を判断しないという。

 

たとえば、「脳死」がそうだ。

 

脳が死んだ人間の心臓が利用できるから、殺した方がましだという考え。

 

人を殺して得をするなら、人を殺しもいいということになってしまう。

 

 

あなたなら、子供に「なんで人を殺しちゃいけないの?」と聞かれたら、何と答えるだろう?

 

 

 

 

 

 

これは、答えのない問いかもしれない。日本では、学校の道徳の授業でこういった話し合いをするかもしれないが、教えれくれるのは結論の「殺人はよくない」ということだけ。

 

 

 

 

これまで損得勘定の世界だと、殺人はやってもいいことになってしまうことを話した。では、日本以外のことも書いていきたい。

 

イスラム世界の罪には、ハックアラーとハックアーダミーの2種類ある。

 

それは、神に対する罪と人間に対する罪ということ。

 

神に対する罪は5つ。

 

「嘘をつく」、「泥棒をする」、「姦通をする」、「強盗をする」、「飲酒をする」ことだ。

 

 

 

つまり殺人は、人間に対する罪になる。

 

では、人間に対する罪はどう対処するのか?

 

それは、目には目を、歯には歯を」ということになる。

 

この言葉を歴史の授業で聞いたことがあるかもしれない。

 

これは、ハンムラビ法典に書いてある報復するための規律だ。

 

 

イスラムでは、同じだけの痛みを相手に与える。しかし、日本ではもらった苦しみ以上の報復を相手に与えようとすることがある。

 

 

イスラムでは人を殺せば、自分が即座に殺される。それは無制限ひとを殺さないようにするための知恵でもあったのだ。

 

 

愚問

 

 

インドの思想で「愚問」という言葉がある。

 

 

「答えのない問い」を愚問と呼ぶ。

 

「答えのない問い」を立てれば、たてるほど迷ってしまう。

 

考えても、かんがえても答えはないのだから。

 

せっかくの頭脳があるのだから、その考える力をもっと、目の前の問題に使うことが大事だ。

たとえば、「将来、日本はどうなるのか?」というのは誰にも予知できない。

 

 

 

やりたいことも、将来こうなってほしいなという目標を立てることも一緒だ。

 

過去を振りかえってみても、「あのとき、頑張っていれば。」と後悔していることって多い。

 

だから、それを繰り返さないためにも。

 

辛いことや、苦しくてもまずは目の前の問いに、目を向けてみよう。

 

BA型の理論とBB型の理論

 

 

 

仏教には、「如」という言葉があるという。

 

それは、「あるがまま」という意味。

 

 

あるがままといっても、すべてを許すわけでもないらしい。

 

 

世の中には、「BA型の理論」と「BB型の理論」がある。

 

 

Bはbefore(の前に)、Aはafter(のあとに)という意味。

 

 

やる前にだめ、やったあとにもそうすべきじゃなかったという「BB型の理論」が世間では多い。

 

たとえば、勉強しなくていいといって、成績が悪かったら叱ることは「BB型の理論だ」

 

 

 

そうではなくて、やったあとに褒めてあげる「AA型の理論」が人間を救うという。

 

 

 

また失敗するんじゃないかって、ビクビクせずにトライできるような、環境を作っていくことが大切。

 

 

 

でたらめに生きよう

 

 

 

宗教の世界では、「でたらめ」なことが多いらしい。

 

 

いくらお祈りしても、仏はひとを助けるわけでもない。

 

 

 

たとえば、迷ったときにジャンケンをするのを思い出す。勝つか分けるかは、運しだい。

 

 

 

人間はないものをねだったり、自分のできないことばかりに注目してしまうことがある。なんで、こんなにも肩をこわばせて、他人と比較するのだろう。

 

 

世間もものさしにとらわれたり、ひとつの尺度では生きにくい。

 

 

 

 

ジャンケンのように神頼みで、選択するように「いい加減」な気持ちも少しあった方が、いまの世の中は生きやすいんじゃないだろうか?