とことん、迷うこと
職人としてはたらく
現在、職人と呼ばれる世界で働いている。
勤務先は地元の会社で、小学校からの幼馴染と社長の3人で毎日をすごす。
しごとの内容は主に、家周りの建築物を創り出すのが仕事だ。
家の前の門、階段、駐車場、フェンス、塀、造園など幅広い作業をおこなう。
この仕事は外構と呼ばれ、インテリアの反対の用語で、エクステリア=外構として知られている。
力仕事もあるので、たまに差別用語で土方と呼ばれることもある。
そんな、世界で働きはじめてから、半年がたった。
いまは、使う道具をおぼえたり、職人を補助する立場にいる。
自分は「超」がつくほど不器用なので、まわりの職人にいつも助けてもらっている。
半年間、この世界で学んだことをアウトプットするためにもブログで残していきたい。
なぜ、いまの仕事に?
カフェとの出会い
大学4年の春に、ひとつのカフェに出会った。
このカフェで、高校生と大学生、90歳のおばあちゃんで教育について討論する機会があったのだ。
教育のテーマ以外にも、政治や日本の歴史を話し合った。
そのなかで、現役の高校生が日本の将来について、本気で語っていた。
90歳のおばあちゃんも、当時の戦時中だったころの経験を心が痛いほど、語っている。
いま目の前で、行われている討論自体が、学びの場であると確信する。
最終的に討論のなかで、自分が思ったことがある。それは人生において、大切なことは学校では何一つとして、教えてくれないのだということ。そして、分厚い教科書にも試験のための知識しか、載ってはいない。
このカフェでの経験から、単純なぼくは、教科書に載っていないようなことを、生徒に伝えたり、背中をみせて、行動できる教師になってみたいと思うようになった。
それからは、思い立ってからすぐに、図書館に籠って、教員採用試験に向けて動き出したのだ。
カッコ悪い大人になっていた
大学4年の6月に、教育実習をおこなった。3週間、社会科の教師として生徒と向き合ったのだ。
この実習の期間に、いろんな生徒と出会った。
名門高校からスカウトが来ていて、俺は甲子園に出て、プロ野球選手になるんだという夢を持ったヤンチャな子。
高校の教師になりたいけど、副業をして稼いでみたいという子。
純粋に、お金持ちになりたい子。
目をキラキラにして、堂々と言い放つ生徒に、ぼくは何も答えられなかった。
ただ、ひとこと「いいね!」という言葉しか、出てこない。
プロ野球選手になる方法も、副業の仕組みも、お金持ちになる方法なんて、なにひとつ知らない。
ほかの教師は、「公務員の副業は、法律的に無理。」、「おまえじゃ、プロ野球選手は無理。」と答えていたことが、どうしても頭から離れなかった。
将来のこと以外にも、「じつは、両親のなかが悪いんだ。」と日々の悩みを、打ち明けてくれた子もいる。
しかし、相槌を打ったり、話を聞くことしか自分にはできない。
実習の最後に、生徒の前に出て話す機会があった。
「ぼくは、中学、高校、大学となにかに向かって努力をしてきませんでした。だから、将来、やりたいことが見つかったとしても、おそらく、もう手遅れだと思います。でも、まだ中学生のみんなは、今から努力すれば間に合うはずです。」
自然と、こんな言葉たちがスルスルと口から、吐き出てきたのだ。
言いたくないのに、まるでダムが崩壊したかのようだった。
この言葉を聞いて、生徒はお礼の色紙に素直な感想を、僕にくれた。
実習の3週間で、親しくなった生徒が書いた言葉。
「何事もあきらめるな」という、言葉が胸に突き刺さった。
色紙に書かれていることは、いまのじぶんの本当の姿を写し出していた。
自分には、頑張れない言い訳をして、ほかのひとには頑張れという。知らないうちに、そんな大人になっていたことに、気づかされる。
中学生の目には、きっと「情けない大人」に見えていたのかな。
僕はこの、教育実習の経験を経て、教師への道から、気付けば離れていった。
理想を求めて
大学4年の夏。
教育実習も終わり、小さい頃になりたくないと思っていた大人になっていることに、落ち込んでいた。
こんな自分は正直、心の底から嫌だったのだ。
背中を見せて、行動できるようになりたい。
けど、じゃあ、どうしたらいいのだろうか。
わからないけど、やりたいことに向けて、諦めたくなかった。
散歩をすることで、学校では学べない大切なことを学んだ。
だから、その良さを伝えるために、ライターをやってみようと思ったのだ。
街を歩いていると、素敵なひとや面白いひとと出会うことがある。
そのなかで、学校や教科書では、知りえなかったことを学ばせてもらった。
自分の経験を、もっといろんなひとにシェアしたかった。
いま、書いているブログもその思いがあったから、チャレンジしてみた。
また、ライターでの活動を通して、いろんな人と出会う。
会うひとたちは、それぞれ、いろんな生き方をしていた。
最初は、理想をもとめて、出会うことを繰り返していた。
けど、正解なんてないことに気づく。
大学4年生も終わりが近づくなか、ぼくは気付けばライター、カフェの店長などやりたいことに、次々とチャレンジしていた。
幼馴染との出会い
小学校のころに少年野球でバッテリーを組んでいた親友に、「うちの会社で修行しなよ。」と誘われた。
いろんな生き方をしている人や、働き方をしているひとに会ってみて、在りたい自分を見失った感じがしていた。
そんなときに、声を掛けられた。
その親友は、中学校を卒業してから8年間、同じエクステリア(外構)の会社で働いている。
ぼくは、大学2年生のころに、この親友と地元でばったり出くわしてから、年に一回だけ、お手伝いとして外構の仕事を手伝っていたのだ。
親友は、仕事にプライドを持っていた。中学を卒業してから、ひとつの職を積み重ねてきたという自信。
やりたいことを追い求めていた自分とは、正反対だと感じた。そして、この親友は人間としての器も大きい。
同じ年齢なのに、圧倒的なキャリアや、人間的な成熟さのギャップに、衝撃を受ける。
ぼくは、いまの自分に足りないものを探すために、親友の誘いに乗る決断をした。
教師からライターへ、そして職人へ。
最初は、心を鍛えなおすという理由だった。
しかし、いまは「人間的な成長」とは何かを探すため、仕事を通して、嫌な自分と
日々向き合っている。
そんな、破天荒な選択をしているにも関わらず、応援してくれる家族や親友、相談に乗ってくれているひとがいる。その、事実を忘れずに。感謝を忘れずに。
「何事もあきらめない」
この言葉を信条に、いまを全力で駆け抜ける。