ふと顔を上げれば。②
このカフェはふだんから、営業しているのだろうか。
疑問ではなく、好奇心が湧いてきた。
勇気を振り絞ってビルの4階を目指すと、階段を上る途中の壁に、なにか書かれていた。
「人間万事翁塞が馬」
ある城塞のほとりに老人とその息子が暮らしていた。
ある日、この親子が飼っていた馬が突然逃げ出してしまった。
周囲のひとは、親子が馬を失ってしまったことを気の毒がった。
しかし、老人は「不幸かどうかわからんよ。もしかしたらいいことがあるかもしれない」と楽観的だった。
まもなく、逃げ出した馬は立派な名馬を連れて戻ってきた。
周囲のひとは親子が名馬を手に入れたことを運がいいと言った。
しかし、老人は「もしかしたら、これが災いのもとに
なるかもしれない」と悲観的だった。
まもなく、息子が名馬から落ちて、ケガをした。足が不自由になってしまう
周囲のひとは、ケガをしてしまった息子のことを不幸だと言った。
しかし、老人は「これが幸福を呼ぶことになるかもしれない」と動じなかった。
息子が足をケガした直後に、戦争が起きた。そして町の若者はほとんど、戦死する。
息子は足をケガしたおかげで、命拾いしたのだった。
このような話が語源になっている。
「自分って不幸だ。」
そう感じるときって、よくあること。
けど、不幸な出来事のように見えることも、話にもあったように、じつは幸せの前兆なのかもしれない。
逆に幸せな出来事もずっとは続かないよね。
辛い状況にこそ、表面には見えないだけで、本当はチャンスは隠れているはず。
当の本人がどう物事を捉えるか。
そんなことを感じさせることわざだ。
このことわざを書いたカフェの店長はいったい?
きっと、階段を上った先には、立派な人格を備えた店長が待っているはず。
そんな予感がした。
続く。
若きころの親鸞の言葉。「いま咲いているサクラは明日も咲いていると後まわしにしてはならない。もしかしたら、夜に嵐がくるかもしれない」
いま思い立ったことを後回しにすると、一生やらないままだという、店長の信条や思いを感じる。