両面をみる
物事や人を見るときに、悪い面ばかりが気になってしまう。
たとえば今日、駅前の床屋さんで髪を切ったときのこと。
窓越しから見ると、床屋の店主とおばあちゃんはテレビを見ながら、お菓子をポリポリ食べている。
「この店はヤバい。髪型を無茶苦茶にされてまう・・・!」
第一印象から、そう思った。
しかし、実際にお店に入って接客を受けると、印象がガラッと変わったのだ。
丁寧な心遣いが第一印象とは、全く違う。
また、このお店で髪を切りに来たいと思うほどに。
この経験で言えるのは、物事を見るときに悪い部分が強調されてしまうということ。
何事にも良い面と悪い面があるのに、悪い面ばかり見てしまう。
悪い面ばかり見ていると、もったいないのだ。
なぜなら、「悪いもの」と決めつけてしまえば、自分から遠ざけてしまう。
今回お世話になった床屋を「態度の悪い店」と、お店に入る前に決めつけていたら、二度とその床屋には足を運ばないだろう。
だから、何事も悪い部分ばかりを意識してしまうと、チャンスを自ら逃してしまうのだ。
『人生の勝算』
『人生の勝算』とは。
著者は前田裕二。SHOWROOMというライブ配信サービスを運営している社長だ。
自身がミュージシャンをやっていた経験から、アイドルや芸能人を目指すひとの努力が報われる仕組みを作った。
前田裕二の生い立ちや社会人として働いたときに、得た人生において大事なことを中心に書かれている。
日本を代表する女優との関係や、社長という肩書き。
この本を読んでみるとそんなことは、ただの「隣の芝生は青い」だ。
自分の人生を生きるヒント
この本には大きく分けて、3つの大切なことが書かれている。
①コミュニケーション
この本のなかで特に強調していたのが、コミュニケ―ションの重要性。
ビジネスでの成功は、このコミュニケーションが鍵を握る。
モノ消費からコト消費に変わったいま、人とのつながりに需要が生まれていることは知っているだろう。
たとえでスナックの経営がある。
スナックでは、常連客とママの深いつながりによって、お店が運営されている。
常連客もお酒を飲みにくるのではなくて、ママと過ごす時間に価値を感じているのだ。
モノや商品じゃなくて、ひととの繋がり。
仮に、同じようなクオリティのカフェで同じ値段のコーヒーを提供しているお店にいったとしよう。
ひとつは不愛想にコーヒーを出す店員がいる店。もうひとつは、笑顔でお客さんに心遣いをしてくれる店。
どっちか選ぶとしたら、ぼくは迷わず後者のお店を選びたくなる。
カフェに限らず、サービスはすべて対ヒト。
だから、コミュニケーションが必要だ。
②人生のコンパスを持つ
航海をするのに、地図がなければ大海原で遭難するのと同じで、人生を生きるうえでもコンパスを持つことだ。
人生においてのコンパスを持っていないと、いつまでたっても「隣の芝生は青い」と言い続けて生きる。
仮に家族との時間が人生においてのコンパスのはずなのに、仕事での出世が人生の目的になってしまえば、周りのひとと比較してしまうだろう。
だから、自分の人生において何が大切か選ばないといけない。なにかを捨てることで人生の質が高められる。
③圧倒的な努力
自分が決めた人生のコンパスに向かって、努力すること。
器は自分自身で決めるものだ。
だれかが決めるものじゃない。
どこまで、目標にむかって努力できるかは自分で決められる。
でも、そのモチベ―ジョンを支えるのが人生のコンパス。
努力には2種類ある。
見極める努力と見極めたあとの努力。
たとえば、鉱山に眠る財宝を掘るとしよう。
ひとりは黙々と自分の肉体を自慢して、スコップで地面を掘り返すひと。
もうひとりは、どこに財宝が眠っているのかを見極めてから。迷わず一心不乱に掘り出すひと。
どちらがモチベーションが高いかといえば、宝のある場所を見極めている人の方が頑張れる。
だから、まずは人生のコンパスを持つことが、何より大事だということをこの本が教えてくれたことだ。
待つだけじゃない
先日、クモが駅前の外灯近くで巣を作っていた。
決して病んでいるわけではない。(笑)
クモと巣をを見て。思ったことがあるのだ。
クモには自分から「エイやー」と獲物にガブリする捕食型と巣を張って、ひたすら待つタイプの二種類いる。
このクモはじっくり獲物を待つタイプ。
巣を張って待つクモは、面倒ぐさがり屋さんだと思っていた。
のんびり巣にへばりついて、待っているイメージ。
でも、よく考えたらこの広い世界でネットを作っても、餌が引っかかる確率が低いんじゃないだろうか。
そう思うと、この写真のクモは賢いのだ。
虫は光に誘われて、集まりやすい。
その習性を狙って、場所を選んで巣を張っている。
クモにとって、巣を張ることは生きるための手段。
人間に例えると、巣を張る行為は「したいこと」。
でも巣を張ってみても、なかなかうまくいかないんだ。
自分に重ね合わせると、「巣を作ってみました。けど、虫が引っかかりません。だから、巣を張るのはいいや。」という感じだろう。
写真のクモのように目的のために、貪欲に動き回り、そして頭を使って動く
ことも心がけよう。
決断
決断しない自分がいる
「決断」ということば。
名前の通り、決めることで道を断つ。
この決断をしないで、立ち止まっていれば自分は傷つかないで済む。
行動を起こさないことで、危険を回避しているんだ。
恋愛でたとえると、初めてあった女の子に「ぼくはあなたに興味はないですよ」と言ってるようなもの。
最初から、予防線を張ってしまう。
どうせ、自分なんて嫌われてしまうじゃないだろうか。
そんな思いをしたくないから、「そもそもあなたには興味はありませんよ」と距離を置くことで、行動しなくてもいい理由を作っているのだ。
恋愛だけじゃなくて、仕事も人間関係もすべて同じこと。
傷つきたくないから、なにもしない。
でも、そんな生き方はダサい。
傷ついても、苦しくても行動に移しているひとの方がカッコいい。
表情
不機嫌になると顔に出す。
辛い顔、嫌そうな顔。
今日は同い年の同級生に仕事のことで叱られて、みじめな気持ちになったのだ。
「お前は、この仕事をなめている。」
こんちくしょうと思ったし、情けない気持ちにもなる。
けど、気持ちの状況を顔に出してしまった時点で、僕の負けだ。
自分自身との勝負に負けてしまった。負けを認めているような
もの。
顔の表情や声のトーン。
周りの影響で自分らしさを殺してしまってはもったいない。
いちばん自分の声を聴いているのは、自分自身。
平常心で、自分らしさをキープしていきたいものだ。
自然界の法則
自然界の法則
「物理で、なんでも出来ちゃうよ」
この言葉を職場で、何回聞いたことだろう。
ひとの力では不可能だと思ったことも、勤務先の社長は可能にしてしまう。
そのコツは「物理」を利用すること。
世の中には、社会で決められた法則と自然界で決められた法則がある。
上の図を見てみると、社会の法則は「しなきゃいけない」と誰かが決めたものだ。
学校の規則などがそうだ。
それに対して、自然界の法則は自然の力によって決められた、合理的な法則だ。
たとえば、ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て発見された重力や、小学校の理科で習った、てこの原理がある。
学校では教科書に書いてある物理の公式を試験のために暗記する。
ぼくは、習った公式すら覚えていないが。
でも、本当に大事なことは学校で習った自然界の法則を生きる上で活用できるように、1人ひとりが本当の意味で理解することだ。
そんなの専門家や業者に頼めばいいじゃないかという意見もあるかもしれないが、最近では、南海トラフ地震が発生する予測がされている。
南海トラフ地震
南海トラフ地震は海側からのプレートが陸側のプレートの下に1年あたり数センチの速度で沈み込んでいる。
(図は気象庁のHPから引用)
そして、今後30年以内の発生確率は80%と予測されている。この南海トラフ地震が起きた場合、国の想定では、関東から九州の太平洋沿岸を中心に激しい揺れや大津波に襲われ、最悪の場合およそ32万3000人が死亡するおそれがある。
(NHK NEWS WEBを参照)
もし震災が起きれば、電気がストップするし、ガスも使えない。
いままで、業者に頼んでいたことが全部ストップしたとしたら、救助がくるまでに自給自足の生活が必要になる。
そのときに、火のつけ方が分からないと生活できないし、もしかしたら倒れてきた重い家屋をどかすのに、「てこの原理」を知らないことで命を救えないかもしれない。
だから、「もしかして」にそなえるためにも、自然界の法則を本当の意味で知ることが大事だし、実際に自然界の法則を有効活用できることが必要だ。
実際にやってみないと分からない
今日、初めて車のタイヤの交換を仕事中に行なった。
合宿免許で車の免許を取得したときには、授業で車のタイヤを交換している動画を観ただけ。
動画を観て、知っているつもりだったけど実際にタイヤを取り換えようと思ったときに道具の使い方が分からなかった。
写真のタイヤを支えているのは、ジャッキという。てこの原理で1トンもある車の車体を持ち上げてくれる。
これは、救助でも使われていて、重たいものを上に持ち上げている隙に救助することができるのだ。
今日は周りに車の知識がある人がいたから、無事交換できたが、もし自分ひとりで車がパンクした状況になったら出来なかっただろう。
その経験から、まずは「やってみること」以外に、本当の意味で理解はできないことに気が付いた。
そして、話は変わるが今度は帰り道に自転車のチェーンが外れて、坂道で派手にズッコケた。
いつもは、自転車屋で見てもらっていたが、自分でいじくってみたら、案外簡単に直せる。
どうやら、物理は日常にもあるみたいだ。
コンフォート・ゾーン
コンフォート・ゾーン
今僕は会社員として、雇われて働いている。
周りの環境には、自立した職人をやっている幼馴染と、自営業をしている尊敬できる社長がいる。
「まずは自分が強くあれ」という、会社の教えにも共感することが多い。
しかし、じつはコンフォートゾーンにいることに気が付いたのだ。
同い年の親友に優しい社長。
同期に叱られときは辛いけど、なんだかんだ親友だからフォローを入れてくれたり、社長は超がつくほど優しい。
仕事で楽ができるように、前日から仕事の流れを練ってくれている。
ところが、ぬるま湯に浸かるように甘えて、ぼくはただ、「世界を旅するために貯金するから」といって、通勤する毎日を送っている。
かといって、旅のための準備はまだしていない。
視野を広げるためにと、休みの日曜になれば「やっと休みがきた」と、人と会うために都内に出るのがルーティ―ンだ。
仕事場の環境に甘えて、熱が入っていない自分と目標に向かっているふりをして、なにも前に進んでいないじぶん。
結果、わかったことはコンフォートゾーンから抜け出せず、「行動していないこと」だ。
なぜ、コンフォートゾーンから抜け出せないのか。
それは、ラクだから。
自分が傷つかなくて済む。だから行動しない方を選びがち。
しかし、行動することでしか経験は得られない。
たとえば、ぼくは大学3年生の頃に20人程でカンボジアへボランティアへ行った。
NPO法人の協力のもとで行ったので、組織化された団体だった。
自分で、カンボジアへ行きたい人を募って、現地のガイドや日程を決めた。
その中で、ぼくは「リーダーをやってみたい」という思いで手を挙げたのだ。
もちろん、惨敗。思い描いたように物事は進まなかった。
当時は恥ずかしい思いもして苦しかったけど、「20人をまとめようとした経験」は、いまでも残っている。
じぶんから、手を挙げて行動しない限り、結果も経験は得られないんだ。
「すべてはアクションだった。」
だから、傷つくことを恐れないで「行動」していこう。