職人、ときどき神保町

都内周辺のコミュニティ、おススメの本、日常などを紹介します。

帝王学

f:id:tommy-manabi:20180927133055j:plain

 

コミュニケーション

 

今日の仕事のなかで、人を動かすにはどうしたらいいかを考えるキッカケがあった。

 

僕が働いている会社では、従業員の人間的な成長を重視している。

 

なので、日々の仕事でよく、指摘されるのは人間的部分と、習慣。

 

今日は、対ヒトとのコミュニケーションのことで、学んだことを書いていく。

 

 

  

帝王学とは?

 

 

帝王学という言葉を知っているだろうか?

 

 辞書ではこう書いてある。

 

具体的には突き詰めたリーダーシップ論とでも言うべきものである。経営術や部下を統制する方法といった限定的なものではなく、様々な幅広い知識経験作法など、跡継ぎとしての人格や人間形成に到るまでをも含む全人的教育である。

また、いわゆる学校での教育という概念とは根本的に異なり、自分の家系を後世へ存続させ繁栄させる、という使命感を植えつけることを目的としている。

       「 wikipedia引用」

 

 

ようするに、築かれてきた家系を守るために、跡継ぎをイッパシの人間に育てることを目的とした学問のことだ。

 

 

この帝王学のリーダーシップ論は、働くときや人とのコミュニケーションにも応用されている。

 

 

社長の帝王学

 

 

 同僚でもある、友人はよく僕を叱ってくれる。しかし、ぼくはいつも人間的な壁にぶつかることが多い。

 

同僚に叱られたくないという感情が優先されてしまうのだ。

 

職人になってから、8年めの友人は仕事の考えかたやスキルが圧倒的だ。

 

隙があれば、すぐに指摘してくれる。

 

その様子をそばでよく見ている、社長がアドバイスしてくれたことが3つある。

 

 

 

相手の温度まで、上げていく

 

 

働いていて、上司とうまくコミュニケーションが取れないことはないだろうか?

 

 

ミスをしたときのあたりが強かったり、話しかけても不機嫌だったり。

 

 

なにをやっても、叱られてしまうという悪循環にハマってしまうのだ。

 

そして、仕事場の環境が合わないからと、辞めたり転職してしまう人がいる。

 

 

じつは、この原因は温度差が違うってことにあるんだ。

 

 

 

たとえば、自分が都内のカフェで1日だけ、店長をやっているとする。

 

 

今日は、仲のいい友達や家族がお店にお客さんとして、来てくれる特別な日。

 

仕事が忙しいなか、遠くからやってきて、自分のために会いに来てくれるのだ。

 

そこで、一人ではお店が回らないので、カフェの運営を知人のA君に手伝ってもらう。

 

あなたは、仲のいい友達や家族を心の底から喜ばせたいと思っている。

 

 

なのに、A君はオーダーを間違えたり、お客さんを気遣えない。

 

 

 

この姿を見て、あなたならどう感じるだろう?

 

 

僕なら、A君に不満を持つ。

 

「おれはこんなにも、お客さんを喜ばせたいのに、A君は...!」と。

 

 

 

このたとえで、伝えたいのは責任の重さで温度差が変わるってこと。

 

 

仕事にも、社長の責任。上司の責任。従業員の責任がある。

 

 

社長は契約して、お客さんからお金をいただく責任がある。

 

上司にも、社長から言われているタスクがある。そのタスクを受けて、上司もいい報告を上にあげたい使命感がある。

 

なのに、従業員がその日の仕事になんとなく来ていたら、大きな温度差が生まれてしまうのは無理もない。

 

 

 

だから、従業員も自分の割り振られた仕事に、責任を持ってこなすことが大切なんだ。

 

 

ほしいものを得るために嫌なことを食らう

 

 

 温度差があるのは分かった。

 

 

じゃあ、どうしたらいいんだろう?

 

 

それは、欲しいものを得るために嫌なことを食らうこと。 

 

 

たとえば、上司との関係がうまくいって、仕事がやりやすいという結果が欲しいとする。

 

 

でも、現実はよく叱られるから、なるべく上司を避けたい。顔も見たくないと思ってしまうこともある。

 

当たり前だ。でもね、嫌なことから逃げていると、自分が欲しい結果は得られないんだ。

 

 

自分が欲しい結果が欲しいときは、ぎゃくに自分が嫌だなと思うことをやってみること。

 

 

上司が嫌なら、自分からあえて近づいてみる。

 

 

すると、自分が叱られていた理由が分かったり、相手の気持ちが分かったりするものだ。

 

 

だから、ほしいものを得るためにあえて、嫌なことを選択してみることは、やってみる価値があると思う。

 

 

 

明日のことを3分だけ考える

 

温度差をなくすための行動として、明日の段取りをすることがある。

 

 

社長が言っていたのは、「お風呂で明日のことを3分イメージするだけで、人生が変わる」ということ。

 

 

 スキルや経験が勝る同僚や上司と同じ温度差で、働くには前日からの段取りしかない。

 

 

 頭で明日のことをイメージするのは、タダ。そして経験やスキルなんて関係ない。

 

 

毎日は容赦なく、刻々と過ぎさっていく。


そのままにすれば、ただ日々は流れるように過ぎていく。


その流れる日々をキャッチするために、昨日から準備を始めること。





想像はしたもんがちだ。

 

 

すべては対ヒト

 

 

以上3つのアドバイスは、仕事だけでなくて、夫婦生活にもあてはまるという。

 

人とひとが密にかかわりあうのは、仕事だけじゃない。

 

プライベートでも、家族と過ごすときも必要になってくる。

 

 

いかに、「相手の気持ちに立てるか」。

 

 

よく言われる言葉だけど、ほんとうに奥が深いんだ。

 

 

 

 

 

 

パラドックス

 

今回は、今日1日で思ったことや、気づきを書いていく。

 

 

 

『カメとウサギの話』

 

 

 

今日、仕事の移動中に社長から言われたことばだ。

 

 

ウサギとカメが競争したら、お調子もののウサギは休憩を繰り返しながら、目的地へ進む。

 

 

カメは自分のペースで着実と少しづつ、目的地へと進んでいく。

 

 

さいころから知っているお話。

 

 

このウサギとカメに当てはめると、ぼくはどうやら、カメらしい。

 

 

不器用だし、覚えも遅い。

 

 

じゃあ、ウサギに勝つにはどうしたらいいんだろう?

 

 

社長が言うには、「計画」をしっかり持つことが大事らしい。

 

 

 

時間を支配する

 

 

 

1年は365日ある。一か月は30日。1日は24時間。

 

 

この時間をどう管理するかで、ウサギとカメの競争の行方は決まる。

 

 

自分の生活を振り返ると、時間に押されているのに気付いた。

 

 

朝は出勤のギリギリに起きたり、次の日の準備を何となくで、済ませる。

 

 

そう思うと、1日が上手くいかないのは当たり前かもしれない。

 

 

時計を気にして動くひとか、うごかないひとで差が出てくるのだ。

 

 

 

 

ないないから、たいたいへ

 

 

 

 

ぼくは、できないことや失敗すると、「なんで俺は出来ないんだ」とか「周りにガッカリされるんじゃないか」と考えてしまうことがある。

 

 

でもね、よく考えてみると、自分の思い込みで悩んでいることが多いんだ。

 

 

たとえば、「仕事ができるひとがすべて」という前提。

 

 

そう考えると、仕事でミスをして、だれかに叱られたら自分を責めてしまう。

 

 

「なんで、言われたことできないんだろう」って。

 

 

「しっかりしなきゃ」「できないといけない」という前提は、周りや自分が作りだした常識だ。

 

世間のものさしであって、それがぜったいに正しいとは限らない。

 

 

 

だから、何事もミスをしたときは、自分を許してあげることから始めよう。

 

 

「こんな自分もいいじゃん。」と受け入れてあげること。

 

 

そうすると、失敗を引きずらないで、次にやらなきゃいけないことが見えるようになっていくんだと思う。

 

 

自分にベクトルを

 

 

 

「できなきゃいけない」というマイナスの発想は、自分を苦しめるし、物事がうまくいかない。

 

 

周りの評価に重点をおくのではなくて、自分がしたいことを達成するために、「出来る必要がある」ことを頑張る。

 

 

ぼくだったら、友達と手話で日常会話がしたい。そのために手話を覚えたい。

 

そして、カンボジアでお世話になった親友と英語で話したいから、英語を話せるようにしたい。

 

 

 

このように、「誰かにこう思われるから」という周りの評価じゃなくて、「自分がどうしたいか」という、自分に重きをおく考えの方が、きっと楽しい。

 

 

 

f:id:tommy-manabi:20180827205309j:plain

 

『ヒントは「宗教力」にあり』

 

この本を読もうと思ったキッカケ

 

きっかけは「宗教ってそもそも、なんだろう?」という興味を持ったからだ。

 

宗教団体に属している友達や、そういう知りあいと出会うと勧誘されることもあった。

 

しかし、そのときには決まって、「無宗教だから、ごめんなさい。」と答える。

 

 

ぼくのなかで宗教とは、ぼんやりとよくないイメージがあったからだ。小さいころから、自然とそう思うようになっていた。

 

 

しかし、身の回りのことを考えてみよう。

 

 

会社や学校、サークル、家族などのコミュニティに属すと、その中に存在する「方針」や「考え方」に染まる。

 

それは、まるでキリスト教イスラム教のような宗教と変わらないじゃないか。

 

エスが社長、牧師が部長、聖書が規則、社員が教徒。

 

 

 

気付けば、ほとんどの人間が絶対的な存在を信仰している。見えない、「なにか」に。

 

 

無宗教であっても、知らぬまに宗教と同じことをしている。

 

 

はるか昔から宗教は存在している。そしていまでも。

 

きっと、続いているのには「理由」があるはず。

 

 

だから、人間の営みと共存していった、宗教について少しでも学ぼうと考えた。

 

 

『ヒントは「宗教力」にあり』

 

 

 

ヒントは「宗教力」にあり

ヒントは「宗教力」にあり

 

 

 

 

この本は、経済評論家の日下公人さんと、宗教評論家のひろさちやさんが「これからの時代」をどう生きていくか、対談形式で書かれている。

 

ひろさちやさんの宗教的な視点と、日下公人さんの経済の現実的な視点から、世の中に物申すところが特徴。

 

今回は、この本を読んでみて、面白いと思ったことをまとめてみた。

 

無宗教の国、日本?

 

明治時代に政府は、神々を崇める神道と仏教をむりやり分けてしまった。

 

しかし、自然の神様や先祖を大切にする習慣は僕たちの周りにはたくさん、残っているのだ。

 

 

 

突然だけど、お正月ってなんのためにあるか知っているだろうか?

 

 

実は、正月はお盆と同じ行事。先祖を迎え入れるための日なのだ。

 

むかしから、日本では先祖崇拝や霊魂といっしょに暮している。

 

 

 

お正月の門松は、先祖がどこに帰ったらいいか分かるための目印。大掃除は先祖を迎え入れる祭場を綺麗にするため。そして、神様にお供えしたあとに餅を、みんなで一緒に食べるためにごったかえす、ごった煮。つまり「雑煮」というようになった。

 

テレビでよく見かける、相撲も農作物の豊作を祈るために行われるようになった行事でもある。

 

じつは、気づかないだけで僕たちも、神様や祖先を信仰する行事をおこなっているのだ。

 

 

損得勘定でうごく日本人

 

 

日本人は損得でしか、物事を判断しないという。

 

たとえば、「脳死」がそうだ。

 

脳が死んだ人間の心臓が利用できるから、殺した方がましだという考え。

 

人を殺して得をするなら、人を殺しもいいということになってしまう。

 

 

あなたなら、子供に「なんで人を殺しちゃいけないの?」と聞かれたら、何と答えるだろう?

 

 

 

 

 

 

これは、答えのない問いかもしれない。日本では、学校の道徳の授業でこういった話し合いをするかもしれないが、教えれくれるのは結論の「殺人はよくない」ということだけ。

 

 

 

 

これまで損得勘定の世界だと、殺人はやってもいいことになってしまうことを話した。では、日本以外のことも書いていきたい。

 

イスラム世界の罪には、ハックアラーとハックアーダミーの2種類ある。

 

それは、神に対する罪と人間に対する罪ということ。

 

神に対する罪は5つ。

 

「嘘をつく」、「泥棒をする」、「姦通をする」、「強盗をする」、「飲酒をする」ことだ。

 

 

 

つまり殺人は、人間に対する罪になる。

 

では、人間に対する罪はどう対処するのか?

 

それは、目には目を、歯には歯を」ということになる。

 

この言葉を歴史の授業で聞いたことがあるかもしれない。

 

これは、ハンムラビ法典に書いてある報復するための規律だ。

 

 

イスラムでは、同じだけの痛みを相手に与える。しかし、日本ではもらった苦しみ以上の報復を相手に与えようとすることがある。

 

 

イスラムでは人を殺せば、自分が即座に殺される。それは無制限ひとを殺さないようにするための知恵でもあったのだ。

 

 

愚問

 

 

インドの思想で「愚問」という言葉がある。

 

 

「答えのない問い」を愚問と呼ぶ。

 

「答えのない問い」を立てれば、たてるほど迷ってしまう。

 

考えても、かんがえても答えはないのだから。

 

せっかくの頭脳があるのだから、その考える力をもっと、目の前の問題に使うことが大事だ。

たとえば、「将来、日本はどうなるのか?」というのは誰にも予知できない。

 

 

 

やりたいことも、将来こうなってほしいなという目標を立てることも一緒だ。

 

過去を振りかえってみても、「あのとき、頑張っていれば。」と後悔していることって多い。

 

だから、それを繰り返さないためにも。

 

辛いことや、苦しくてもまずは目の前の問いに、目を向けてみよう。

 

BA型の理論とBB型の理論

 

 

 

仏教には、「如」という言葉があるという。

 

それは、「あるがまま」という意味。

 

 

あるがままといっても、すべてを許すわけでもないらしい。

 

 

世の中には、「BA型の理論」と「BB型の理論」がある。

 

 

Bはbefore(の前に)、Aはafter(のあとに)という意味。

 

 

やる前にだめ、やったあとにもそうすべきじゃなかったという「BB型の理論」が世間では多い。

 

たとえば、勉強しなくていいといって、成績が悪かったら叱ることは「BB型の理論だ」

 

 

 

そうではなくて、やったあとに褒めてあげる「AA型の理論」が人間を救うという。

 

 

 

また失敗するんじゃないかって、ビクビクせずにトライできるような、環境を作っていくことが大切。

 

 

 

でたらめに生きよう

 

 

 

宗教の世界では、「でたらめ」なことが多いらしい。

 

 

いくらお祈りしても、仏はひとを助けるわけでもない。

 

 

 

たとえば、迷ったときにジャンケンをするのを思い出す。勝つか分けるかは、運しだい。

 

 

 

人間はないものをねだったり、自分のできないことばかりに注目してしまうことがある。なんで、こんなにも肩をこわばせて、他人と比較するのだろう。

 

 

世間もものさしにとらわれたり、ひとつの尺度では生きにくい。

 

 

 

 

ジャンケンのように神頼みで、選択するように「いい加減」な気持ちも少しあった方が、いまの世の中は生きやすいんじゃないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伝えかたも段取り90%

伝えること

 

今回は、「伝え方」がテーマだ。

 

なぜ、伝え方について考えようと思ったのか。

 

それは、「伝え方」が仕事やプライベートに、大きく影響を与えることに気付いたから。

 

今日の仕事のなかで得た、「伝え方」について、大事だと思ったことが、3つあるので書いていこう思う。

 

 

 

相手に伝わるように話す

 

伝わるように話すには、3つの大事なポイントがある。

 

 

 

ひとつがまずは、短く話すこと。

 

話しがダラダラと長いと、話が終わったときに「あれ?あいつ結局、何が言いたかったんだ?」となってしまう。

 

説明が長くなってしまうのは、伝えたいことの要点がつかめていないのだ。

 

 

伝えかたも段取り90%

 

伝えたい話の要点をつかめていないと、相手に簡潔に物事を説明することができない。

 

 

仕事内容をほかのひとに伝えるとき、相手に100%伝わるようにするには?

 

 

 

それは、まずは自分が伝えたいことを完璧に、理解しているかどうかだ。

 

 

自分が理解していないのに、どうやって伝えるのか。

 

 

当たり前かもしれないけれど、そんな場面はきっとあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

そうならないためにも、自分自身でわからないことを無くす努力をしたり、調べて勉強する努力が必要なんだ。

 

 

ひとの話を聞くときも、「聞いた話を幼稚園児に伝える」と意識しておくと、緊張感を持って話を聞ける。

 

ただ、話を聞くのか。それとも、自分を追い込んで、プレッシャーをかけて聞く違いは大きい。

 

 

そして、ひとにわかりやすく伝えるということは、疑問やわからないことを理解しようとする意欲もわいてくるのだ。

 

 

社会科の先生が、生徒に授業を教えるときも一緒。

 

前日に指導案を作って、明日の授業のために段取りをする。

 

生徒は、違った角度から鋭い質問をする。

 

準備をしないと、質のいい授業はできない。

 

 

 

営業で、商品の説明するときも同じで、その商品がどんなメリットがあるか、知識を蓄えるはず。

 

 

 

 

ぜんぶ、共通しているのは伝えるためには、準備が必要だということだ。

 

 

 

 

 

 

今回のまとめ

 

伝え方で大事なのが、

 

①相手に伝わるように、話すことを心掛けること。

 

 

 ②伝えるには準備が必要だということ。

 

 

③誰かに伝えると意識して、ひとの話を聞くこと。

 

 

 

ぼくも、普段の生活や仕事のなかで、ひとに伝える工夫なんて何ひとつ考えたことがなかった。

 

いがいと、自分本位になって話を進めてしまいがち。

 

聞くときも自分の良いように、解釈してしまったりするときもある。

 

 

けど、ぼくは相手を思いやる人で在りたい。

 


伝え方には、相手をイラつかせたり、不安にさせたり、喜ばせたりする影響力がある。





お願いするときや、お店で注文するとき、仕事で業務連絡するときにも「伝える」ことは欠かせない。

 

 

 

「伝える」って行為が日常で、満ち溢れている。

 

 

 

 

 

 

「相手が理解しやすい話し方って、なんだろう?」と、常に考えること。


これは、相手の心に歩み寄るのに、大切なことなんだと思う。

 

 

 きっと、プライベートでも仕事でも変わらないはず。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書会

朝のカフェで

 

f:id:tommy-manabi:20180923213656j:plain

 

 

日曜の午前9時。朝っぱらから、あめにてぃカフェで読書会をひらいた。

 

今回おこなったのは、自分のおススメだと思う本を持ってきて紹介する、フリートーク形式の読書会。

 

 

あめにてぃカフェは神田三崎町にある、落ち着くカフェ。

 

 

あめにてぃカフのオーナーである羽田さんは、読書会に協力してくれて、仮眠してお店を空けて待ってくれていた。

 

羽田さんの実家は、長野県。平日は出版社とカフェの仕事をこなして、週末に実家へ帰るという多忙な2拠点生活をしている。

 

いつもは日曜の午前に実家に帰るという羽田さん。少し眠たそうな顔をしていた。

 

 

 

tommy-manabi.hatenablog.com

 羽田さんについて、詳しく書いてある記事。あめにてぃカフェでは何か、心地いい雰囲気が感じられる。

 

 

読書会もやってみたいと相談すると、忙しいなかで日程を調整してくれたのだ。

 

 

ぼくが、カフェの空間をつかって何か企画したいと相談すると羽田さんはいつも、こうつぶやく。

 

 

 

「まずは、とりあえずやってみましょう。」

 

 

 

 

ぼくは、このことばを聞いて、こわばった肩の力がスッと抜けていく感じがした。

 

 

 

 

なぜ読書会をひらいたのか?

 

 

 

ぼくは、小説以外ほとんど本なんて読む人間じゃなかった。

 

 

 

ところが、あめにてぃカフェとの出会いから、世の中の仕組みや社会問題を知らない自分に気づいた。

 

 

tommy-manabi.hatenablog.com

 

 

あまりにも、無知だったのだ。

 

そのとき、いままで何でいろんなことに興味を持って、学んでこなかったんだろうって、後悔した。

 

知識がないことへの恥ずかしさというより、このまま何も知らずに死んだら、ぜったいに後悔するっていう確信。

 

 

だから、無知な自分を受け入れて、勉強しようと思ったのだ。

 

政治経済、文化、宗教、おかね、性、教育、福祉、歴史。

 

 

教科書にない学びを共有できる、機会を作ってみたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ろう者と聴者のコミュニケーション

 

 

 今回の読書会は、大学時代に一緒に教職で学んでいた那須えりりん)とその友達の岡田くん。そして、カフェオーナーの羽田さんが参加した。

 

 

 

教職のクラスで出会った那須のことは「えりりん」と呼んでいるが、恥ずかしいのでここでは、那須と呼ぶことにする(笑)

 

 

那須は、ろう者なので音が聞こえない。


反対に耳が聞こえるひとは聴者と呼ばれる。

 

教職の授業のあとに、コミュニケ―ションがうまく取れなかったのがキッカケで、思い切って声を掛けた。

 

 

そのときに、手話に興味があると伝えると、那須は指文字や手話をぼくに教えてくれたのだ。

 

f:id:tommy-manabi:20180923223449j:plain

指文字表。自分の好きな音楽に合わせて、指文字を練習したこともあった。

 

 

f:id:tommy-manabi:20180923223507j:plain

手話を覚えるときのルール。学校の空き教室を使って、本気で教えてくれた。

 

そんな那須から、読者会の当日の朝に、ラインのメッセージが届いた。

 

 

「みんなの話していることが分かるように情報保障をお願いしたいんだけど、大丈夫かな?」

 

 

このことばを聞いて、みんなとコミュニケーションを取りたいという、強い意志が伝わってきた。同時に、うまく聴者とコミュニケーションが取れるように、読書会を進行しないとって、責任感をズシリと感じたのだ。

 

 

 

そんな僕に、那須はUDトークという、アプリを提案してくれた。

 

 

 

UDトークとは?

 

 

 

UDトークは簡単にいうと、聴覚障害のある人と会話を共有できるアプリのこと。

 

 

発言の仕方は「音声」、「手書き」、キーボードの3つ。

 

 

スマホの前で話すと、音声を自動で書き起こしてくれる。

 

 

f:id:tommy-manabi:20180923225356j:plain

 

そして、書き起こされた文章は、リアルタイムでみんなに共有されるのだ。

 

UDアプリのメリットはスピード感を持って、ろう者と聴者が会話できることや、音声情報を拾ってくれるところ。

 

 

しかしデメリットは、スマホとパソコン越しで会話するので、 お互いの顔がみえにくい。また、音声入力に頼って、聴者がなかなか手話を覚えにくいことが欠点。

 

 

 

ろう文化って?

 

 

今回の読書会では、那須の持ってきた本が皮切りに、ろう者と聴者の文化の違いがテーマになった。

  

 

f:id:tommy-manabi:20180923232829j:plain

 

 

どんな違いがあるのか。

 

たとえば、会社で何かトラブルが起こったとする。

 

 

聴者は空気を読んで、「ああ、あいつがやらかしたんだな」と暗黙の了解だと悟る。

 

 

そう、場の空気を読むというのは、聴者独自の文化なのだ。

 

 

しかし、ろう者は空気を読む文化はない。

 

 

誰が悪いのか、なにが原因なのかをハッキリことばで表す。

 

 

だから、聴者からは「言い方がストレートだね」と言われることが多いという。

 

このほかにも、たくさんの文化の違いがある。

 

  

ろう者と聴者とのあいだにある「ズレ」

 

 

 

この「ズレ」を少しでも伝えようとしたのが、『ろう者のトリセツ・聴者のトリセツ』なのだ。

 

 

  

 

f:id:tommy-manabi:20180924003012j:plain

 

 

お互いが歩みあう努力を

 

 

ろう者が聴者のなかで、一緒に生活するのは、まるで外国人が日本で片言の日本語で接客するような感覚だという。

 

 

ろう者の第一言語は手話。自分の気持ちや意見を自由に表現できる。

 

だが、社会ではろう者も、聴者とおなじように声を出すように求められるのだ。

 

そもそも、ろう者の文化は日本人の文化とは違うのに。

 

同じような日本の文化や、聴者の文化に合わせることは、民族的な迫害を連想させる。

 

 その原因は、きっと、ろう文化を知るきっかけがないから。

 

機会があったとしても、自分から相手に飛び込めない。

 

 

 

だから本当に必要なことって、自分から相手に、歩み寄る勇気なんだと思う。 

 

 

 

f:id:tommy-manabi:20180924003354j:plain写真の左から那須、岡田くん。岡田君は海外旅行が大好きで、電子書籍kindleで本を紹介してくれた。ふたりとも、参加してくれてほんとうにありがとう! 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日を思い描く

明日を思い描くこと

 

 

今日は、ひとりで任されたはずの仕事を外された。

 

理由は、その作業に欠かせない木材を置き場に忘れてしまったのだ。

 

そんなときに社長に言われた言葉が、今までの自分には足りない部分の核心を突いていたので、言葉で残しておきたい。

 

明日をイメージすること

 

 

外構の世界では、段取りが8割と呼ばれている。

 

 

明日は何をするのか、明日使う道具の準備、どういう手順で作業を進めていくのかを考える。

 

 

事前の段取り次第で、次の日の仕事がうまくいくかいかないか、決まってしまうのだ。

 

ましてや、外構という職業は毎日が違うといってもおかしくない程、多様なモノづくりをする。

 

明日のことをイメージして望まないと、どんな優秀な職人でも、作業がショートしてしまう。

 

 

今日、作業で必要な木材を忘れたぼくは、社長にこう言われたが心に残った。

 

 

「職人は道具がなければ、なにもモノづくりはできないんだ。道具があってこそ、なんだよ」

 

 

「ともくんは30パーセントの力で、仕事に臨んでいる。やれば出来るのに、やろうとしない姿勢がよくない」

 

この言葉を聞いて、自分の行動を思い返してみた。

 

すると、ぼくは明日のことを「これでいいや」というレベルでしか、イメージしていなかった。

 

 

ようするに、余力を残した状態で、明日を迎えていたのだ。

 

ふだん、私生活でも「将来はこうしたい、未来はこんなことをやりたいんだ」と考えていたような気がする。

 

しかし、今日の失敗からもっと、足元を見ることが大切なんだと気付く。

 

明日のことすら、思い描くことができないのに、どうして3年後や10年後を考える

ことができるのだろう?

 

まずは、明日のことを思い描く習慣をつけること。

 

 

明日の仕事のために準備する。まずは前日に、30分だけ明日のことを考えるだけでもいい。

 

 

ラーメンの職人でも、カフェの接客でも、営業の仕事でもきっとおなじこと。

 

 

 

全ては段取りが、8割なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『きっと、うまくいく』

 

 

 『きっと、うまくいく』

 

 

2009年にインドで制作されたコメディー映画。友達にススめられて、DVDをツタヤで借りてみたのだ。

 

 

 

公開当時、インド映画歴代興行収入1位を記録した大ヒット映画。

 

 

きっと、うまくいく(字幕版)
 

 

最初、友人に「おもしろい映画だから観てみてー」と言われて、ただの

コメディー映画だろうと僕は思っていた。

 

しかし、観てみると面白いだけでなく、『教育問題』もテーマになっていたのだ。

 

自殺問題

 

 

日の出の勢いで躍進するインドの未来を担うエリート軍団を輩出する、超難関理系大学が舞台。

 

エンジニアを目指す天才が競い合うキャンパスで、型破りな自由人のランチョー、機械より動物好きなファルハーン、なんでも神頼みの苦学生ラジューの“三バカトリオ”が、鬼学長を激怒させ、珍騒動を巻き起こす。

 

 

しかし、鬼学長は生徒がなにか問題を起こしたり、気に食わないことがあると退学処分を生徒自身に、電話やパソコンのメールから親に申告させる。

 

 

そのせいで、自殺してしまう生徒が出てしまったのだ。

 

 

 

この動画の最後に注目してほしい。

 

寮の薄暗い部屋で、生徒が縄で首をつっている。

 

この生徒の名はジョイ。

 

勉強よりも、リモコンで操作する小型の飛行ロボットを作ることに熱中していた。

 

ある日、ジョイは新作の飛行ロボットを学長に自慢すると、その場で両親に電話されて、退学を宣告されてしまったのだ。

 

「こんなロボットがなんの役に立つんだ!」と。

 

部屋に閉じこもったジョイを見かねた主人公のランチョー。

 

ランチョーは実用性があるカメラ付きの飛行ロボットを作って、ジョイの退学を取り消そうとしたのだった。

 

 

 

しかし、完成した小型飛行ロボットをジョイの部屋に飛ばしてみると。。。。。

 

 

 

学歴競争

 

 

「退学処分を受けただけで、自殺するか?」と思ったひとはいないだろうか?

 

なぜ、自殺する生徒がでてしまったのか。

 

その根底にあるのは、カースト制度

 

 

カースト」という言葉はポルトガル語で、「血統」を意味する。

 

カースト制度によって、どこの家庭で生まれたかで、将来自分が就ける職業も決まってしまう。

 

生まれたあとには、カーストは変えられない。

 

現在のカーストは過去の生の結果だから、受け入れて今の人生を生きるしかないのだ。

 

まさに、ヒンドゥ―教の根本的世界観の「輪廻転生」観によって、社会は成り立っている。

 

 

現在でも、南部の農村部にはカースト制度の名残があって、自殺に繋がる原因にもなっているのだ。

 

この映画の登場人物である「神頼みのラジュー」も、農村部出身。

 

 

貧しい家族の期待を背負って、大学に送り出されている。

 

ラジューは学校を退学になりそうになって、飛び降り自殺しようとした一人。

 

 

カースト制度が無くなってきてはいても、それでもいい職につくには難しい。

 

 

だからこそ、出世できるような企業に入ってもらうために、息子を良い大学に進学させる。

 

 

その家族からのプレッシャーから、自殺してしまう生徒が出てきてしまったのだ。

 

 

 

「きっと、うまくいく」

 

 

この映画のキーワードでもある、「All is well」。

 

 

  

きっと、うまくいく。

 

ピンチになったときや、緊張する場面で主人公たちは「All is well」とつぶやくのだった。

 

この呪文を心の支えにして、常識を破ったり、逆境を切りぬけていく。

 

 

日本でも、常識にとらわれてしまうことがあるんじゃないだろうか?

 

 

世間の目を気にして、自分の気持ちに嘘をつくこと。

 

良い会社に入らなきゃ、結婚しなきゃとか。

 

でも自分のほんとうに、やりたいことってなんだろうか?

 

 

ひとと違うことをするには勇気が必要。

 

そんなときは、「きっと、うまくいく」と唱えると最初の一歩を踏み出せるような気がした。

 

 

この映画は「今を生きる」ことを見つめ直す、キッカケを与えてくれるはず。