仕事
仕事ができない自分が嫌い
僕は仕事ができない。
なぜできないのか。
原因は3つある。
・分からないことや理解できていないことがあっても、プライドが邪魔をして再確認ができない。
・プロ意識に欠ける。
・目の前のことが出来ていないのに、ほかのことをやりたがる。
その結果、
もらった指示とは違うことをしでかすので、上司に「言ったとおりにやってくれよ!」と毎回、怒られてしまう。
昔から、同じような悩みを持っていた。
ホテルのバイトでも、販売員のバイトでも、中学、高校野球の監督からも同じようなことを。
そして、自分勝手に動いているように取られて、上司との関係が悪くなってしまうのだ。
たとえ、どんなに仕事場が変わっても根本は同じだ。
日本では、どこへ行っても縦社会になっている。
会社員でも、公務員でもグループに属していれば、付きまとう。
自分自身の仕事への考えや、人間的な問題を解決しないと、また同じような壁がやってくるのだと思う。
仕事に対する考え方
今日も、僕は仕事でトンチンカンなことをしでかした。
当日の準備を怠ったり、社会人としてなさけないことを連発。
また、いままでと同じような繰り返しだ。
正直、もう環境のせいにして、諦めてしまいたかった。
しかし、もうどこへ行ったって問題は解決しないのは分かっている。
そう、くすぶっていたときに社長から、仕事に対する考えかたでアドバイスをもらったのだ。
言われたことは、大きく分けて2つのこと。
確認の重要性
もし、仮に北海道の震災地に、ボランティアへ行ったとする。
そのときに自分ならどうやって、動くのか考えてみよう。
「なんか、道路に大きな木が倒れているから撤去してあげなきゃ!」
こうやって、頑張って木を動かすためにせっせと、頑張る。
なんか、汗もかいたし、いい気分になる。
でも、よく考えてみようよ。
いやいや、ボランティアに行くときには、まず被災したひとや役所のひとの意思を聞いてから、動くんじゃないかな。
仕事も一緒で、相手が求めることをやってあげること。
だから、相手が本当に求めていることなのか、確認をする作業が必要になってくる。
プロ意識をもつ
同じ仕事を振り分けられても、いろんな考え方がある。
例えば、土を掘る作業を言われたとする。ただ、一生懸命に「つらい。早く終わらないかな。」と考えるひと。
はたまた、「土を掘る目的はなんだろう?果物の樹を植えるなら、肥料も用意してあげようかな。」
例が極端かもしれない。
けれど、意識の違いだけで、仕事の質が変わってくるのだ。
どんな作業でも、こだわりを持つ。
平凡な仕事でも、侮ってはいけない。
簡単そうに見える仕事でも、100パーセント出来ていると、胸を張っていえるかどうか。
あいさつは?整理整頓は?前日の準備は?
飽きてしまう仕事なら、時間を測って最短で終わる方法を
考えてみよう。
ポン、と渡された指示でも、次に作業を引きつぐひとが作業しやすいように気遣う。
目の前のことが100パーセント出来ているかどうか、もういちど見返してみるといい。
結局はどう在りたいか
どんなに、仕事ができなくても。結局は、自分がどう在りたいのかだと思う。
有限な時間のなかで、他の人に火をつけられてなんとなく、働きたいのか。
それとも、自主的に自分に火をつけて、やる気を持って働くのか。
僕は仕事に対して、プロ意識を持ちたい。
そして、自分で火をつけられる、周りに影響を与えられるような人間で在りたい。
秋は梨の季節だずー
山形での二週間
「 最近、涼しくなってきたずー。」
「ずー」という語尾をつけると、山形県では「~だよね」をあらわす。
だから、標準語だと「最近、涼しくなってきたねー。」という意味だ。
この方言は、山形へ行ったときに地元の人達から、教えてもらったのだ。
先週、山形でお世話になった人たちへお礼の梨を送った。
山形で仲良くなった、おじいさんと果物が旬な季節になると、地元の名物を贈り合いしている。
夏には、旬な佐藤錦のサクランボをごっそり、いただいた。
山形へ行ったのは、今年の6月中旬。
僕は車の免許を取るために山形まで2週間、免許合宿へ行ったのだ。
仕事でマニュアルの自動車の運転免許が必要になった。
社長にはむしろ、早く行けと言われて、最短で免許を取得できる合宿免許を選ぶ。
本心は、日々の仕事に飲まれないように、自分と向き合う時間が欲しかった。
学生時代と違い、週6日間を現場で働いていると、視野が狭くなっているような気がしたのだ。
もちろん、いまでも仕事に飲まれてしまわないように、必死だ。
山形での免許合宿中に、思ってもいない出会いがあったので、そのときの気持ちを、思い返してみる。
地元のひとたちとの出会い
通っていた、合宿寮の近くに「一杯や」というモツ屋さんがある。
このお店は、まるで昭和にタイムスリップしたかのような場所。
ひとりで入れるような、雰囲気ではなかった。看板と暖簾をみただけで、地元のひとが集まっているイメージが、すぐに湧いてきた。
しかし勇気を振り絞って、一歩を踏み出してみたら素敵な出会いが待っている。
僕が席に座ると、山形弁での会話が飛び交う。
何を言っているのか、正直理解できなかった。よくわからないけど、会話中はとにかく
、うなずくことしかできなかった。
キョトン、としているところに声を掛けてくれたのが、おじいちゃんの奥山さん。
地元の名産の話をした。そのときにぼくの地元、「千葉県八街市のピーナッツの味が忘れられないんだ。」という、言葉を何度も、繰り返していたことを覚えている。
会話の8割は下ネタだった。
若い僕が、身じろぐほどの超スーパーな下ネタを連発。
けど、心から笑っていた。なぜ、下ネタは笑いを誘うのだろう(笑)
お客さん同士で、どきついツッコミとボケがあったり。
でも、いじったり、いじられたりの相手を思いやる、温かい雰囲気が好きだった。
肩の荷が下りるような、そんな時間。
日を重ねて、奥山さんには仲良くなると、「おい、ナカジマくん!」と名前で呼ばれるようになっていく。
見知らぬ土地から来た、自分の名前を呼んでもらえることが、嬉しかった。
ほかにも、一杯やで出会ったお客さんから、お酒を奢ってくれたり、心から笑えるような冗談を言い合う。
お互いのビールを注ぎ合う。目上のひとから、相手のジョッキに飲み物を注ぐ。
昔ながらのよき、日本の文化。
上下関係って、あってもいいと感じた。
合宿最終日には、地元の美味いラーメン屋、「鬼がらし」に一緒にいって、辛さを言い訳に涙が出てきた。
舌がが少しだけ、 ピリピリする唐辛子の辛さが絶妙。地元のひとたちに愛されるラーメン屋だ。
じつは社長夫婦から、二週間分の食べ物が段ボールで送られてきている。
この二週間は食べ物に、ほんとうに困らなかった。
このことを「一杯や」の女将さんに話した。
すると、「素敵な社長さんねぇ。」と言っていたことを思い出す。
僕が 働いている先の社長から、送られてきた食べ物。段ボールを開けてみて、お米がどっしり入っていたことにビックリした。
自分で選べる自由
もし、のれんや看板の雰囲気に怖気づいて、「一杯や」に入ることをしなかったら、お店の女将さんや地元のお客さんたちに、出会うことはなかった。
変化しないことを選ぶことも、自分はできる。
行動しても、しなくてもいい。
ただ、勇気を一歩踏み出して、出会ったひとたちに、今の僕は支えられていることは間違いない。
今日、この文章を書いているいま、「一ぱいや」から電話がきた。僕が送った梨をみんなで、美味しく食べたよと。
1人ひとり、電話を回してくれて、女将さんや常連のお客さんの声を聞かせてくれた。
きっと今日も、明るい山形弁で盛り上がっているのだろうか。
お世話になった、奥山さんは最後に、「この縁をつなげていきましょう。」と一言。
山形での経験は人生で、 どんなに忙しくても、つらいときでも、忘れてはいけないことを、僕に思い出させてくれる。
山形へいくときは、ぜひ「一ぱいや」寄ってみてほしい。
●店名
「一ぱいや」
●住所
https://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6003241/dtlmap/
お金の使い方
毎朝のルーティ―ン
社長は、飲食店を経営しているほかに親方、家庭を持つひとりの父親でもあり、人を引っ張る教育者でもある。
僕は仕事場の現場へ向かう途中、話の引き出しが多い社長の話を、助手席や休憩中に聞くことが多い。
仕事を始めたころの気持ち
2017年の11月。大学4年の後期のことだった。
この時期に小学校からの親友から、「社長のもとで根性を鍛えなおした方がいいよ。」といまの仕事に誘われた。
当時のぼくは、やりたいことが何個かあったり、興味があることは沢山あった。
神保町で異世代交流、ライター、留学をしてみたいとは口では言う。
しかし、興味本位に動くけれど、何事も継続はできず。
このままだと、努力することや嫌なことから、逃げる選択しかしない無責任な人間になってしまうのが、目に見えていた。
そんなタイミングで、親友から誘われた職人とも呼ばれる仕事は、大学生活で「やりたいこと」を求めていたときとは、まるで正反対だった。
例えるなら、泥水を被るような仕事。
毎日、服はがっつり汚れるし、顔面に生コンクリートがぶっかかる事も日常茶飯事だ。
けど、仕事を通してダメな自分や目を背けたくなるような嫌なところが分かる。
じぶんの価値=収入だけではないと僕は思う。
人間的な見えない部分が成長することで、キャリアもステップアップするんじゃないだろうか。
なににお金を使うのか
毎月、社長と地元の銭湯に行く。
裸の付き合いだ。
この文章を書いた、今日も銭湯に行ってきた。そして、お決まりの飲み。
そのときに、お金の話になった。
お金をなにに使うのか?
要するに給料が入って、何に使うのか。
この会社で働くまでは、自分の娯楽や最低限必要なことにお金を使っていた。
けど、社長が口酸っぱくいうのが支えてくれている、家族にお金を使うこと。
いままでの僕は、ケチって実家にお金なんて出さなかった。
正直、自分本位過ぎた。
だから、社長からは大学卒業前によく、「人生においての卒業をしような」と言われていた。
大学を卒業しても、形だけで心や精神は未熟なままだ。
それを見透かしていたんだと思う。
家族という当たり前に与えてきてくれた、存在にぶら下がんなって。
今度は、自分が大切なひとを支えてやるんだって気持ちを持つことが大事だって、働き始めのころに良く言われた。
この仕事で一番、最初に教わったのがレタスチャーハンの作り方だ。
車の助手席に座りながら、必死にノートにメモをした。
ものづくりの反省とか、方法のメモを取らずに。
「ともくん、炒めるときに味の素をシャンシャンシャンと一回ししてね・・・!」
僕はびっくりした。仕事のことよりもプライベートのことを言われるなんて。
そして、家族にご飯を作ってあげなと言ってくれる。
半年前の自分だったら、家族にご飯を作る事なんて絶対にしなかった。
今日も銭湯にいったあと、飲んでいるときに言われた。
「結婚して、家族を守れるひとになってほしい。仕事ができるやつより、仕事ができなくても結婚して、家族を大事にするやつの方が評価できる」と。
僕がこの会社で働き始めてから、変化したのはお金の使い道。
大切なひと、お世話になっているひと、家族にお金を使うこと。
得が帰ってくるなんかは、わかんない。
けど一番、気持ちいいお金の使い道なんじゃないかなと思っている。
そんな、ひとが社会で増えたらもっと、みんなが幸せになれるんじゃないかな。
最近のぼくの、モチベ―ジョンは母方のばあちゃんを故郷の長野に連れていくこと。
ばあちゃんはいま、介護施設で過ごしている。
久しぶりに会いに行ったら、車いすで生活していた。まだかろうじて、歩けるうちに絶対に長野に連れていこうって思った。
お金の使い方。正しいとかはないけど、自分は支えてくれるひとや大切なひとにお金を惜しまずに、使うひとで在りたい。
社長との出会い
偶然からのつながり
僕には、小学校時代に野球でバッテリーを組んでいた親友がいる。彼は現在、建築関係の職人をしている。
僕が大学2年生のときに、この親友とは偶然、地元で再会した。
8年振りの再会。
身長は190センチほどあり、笑顔は少年のように爽やかだった。
親友は、小学校を卒業してからは交通事故で骨折をして以来、学校にはあまり通わずに、荒れていたと噂で聞いていた。
しかし、久しぶりに再会した親友は見た目も、考え方も大人になっていた。
そして、生き方に芯が通っているように感じたのだ。
反対に大学2年生の僕は、将来やりたいことが定まっていなくて、考え方がフワフワしていたと思う。
親友は、なぜこんなにも成長したのだろうか?
社会で働き始めれば、考え方がしっかりするのだろうか。
このギャップは、なんだろう。
親友はやたらと、「社長は、尊敬できるひと」と誇らしげに言っていた。
だから、僕は親友が働いている先の社長に、興味を抱くようになっていく。
衝撃的な出会い
大学2年の冬、親友に人手が足りないから、救援で仕事を手伝ってほしいと頼まれた。
しごとの内容は主に、家周りの建築物を創り出すのが仕事。
家の前の門、階段、駐車場、フェンス、塀、造園など幅広い作業をおこなう。
この仕事は外構と呼ばれ、インテリアの反対の用語で、エクステリア=外構として知られている。
現場に到着すると、突然、足袋を履くように言われる。
足袋は、 よく神輿など地域での行事でも、履かれている。
生まれて初めての足袋。
よく見ると、つま先の部分が分かれている。
急いで、靴下の先っちょをカッターで切り刻んだ。
そして、履くのに時間がかかってしまう。
やっと履き終わって、緊張しながら作業場に向かうと、社長らしきひとの後ろ姿が見えた。
職人の仕事で、ましてや仕事場では、親方とも呼ばれるひと。
きっと、コワモテの巨漢なんだろうなと勝手に、イメージしていた。
作業中に声を掛けたら、怒鳴られるとも思っていた。
おそるおそる、後ろから声を掛けると、社長は振り向きざまに、爽やかな声で「はじめまして。今日は来てくれて、ありがとうね!」と笑顔で一言。
社長はイメージと違い、体形は190センチの親友と比べたら、すこし小柄だった。
そして、柔らかい雰囲気を感じられた。
このときに職人=コワモテという偏見が一気に吹き飛んだ。
これが僕のいま、働いている会社の社長との、初めての出会い。
このブログで、少しずつ、日々の仕事を通して、感じたことや心に残ったことも残していこうと思う。
とことん、迷うこと
職人としてはたらく
現在、職人と呼ばれる世界で働いている。
勤務先は地元の会社で、小学校からの幼馴染と社長の3人で毎日をすごす。
しごとの内容は主に、家周りの建築物を創り出すのが仕事だ。
家の前の門、階段、駐車場、フェンス、塀、造園など幅広い作業をおこなう。
この仕事は外構と呼ばれ、インテリアの反対の用語で、エクステリア=外構として知られている。
力仕事もあるので、たまに差別用語で土方と呼ばれることもある。
そんな、世界で働きはじめてから、半年がたった。
いまは、使う道具をおぼえたり、職人を補助する立場にいる。
自分は「超」がつくほど不器用なので、まわりの職人にいつも助けてもらっている。
半年間、この世界で学んだことをアウトプットするためにもブログで残していきたい。
なぜ、いまの仕事に?
カフェとの出会い
大学4年の春に、ひとつのカフェに出会った。
このカフェで、高校生と大学生、90歳のおばあちゃんで教育について討論する機会があったのだ。
教育のテーマ以外にも、政治や日本の歴史を話し合った。
そのなかで、現役の高校生が日本の将来について、本気で語っていた。
90歳のおばあちゃんも、当時の戦時中だったころの経験を心が痛いほど、語っている。
いま目の前で、行われている討論自体が、学びの場であると確信する。
最終的に討論のなかで、自分が思ったことがある。それは人生において、大切なことは学校では何一つとして、教えてくれないのだということ。そして、分厚い教科書にも試験のための知識しか、載ってはいない。
このカフェでの経験から、単純なぼくは、教科書に載っていないようなことを、生徒に伝えたり、背中をみせて、行動できる教師になってみたいと思うようになった。
それからは、思い立ってからすぐに、図書館に籠って、教員採用試験に向けて動き出したのだ。
カッコ悪い大人になっていた
大学4年の6月に、教育実習をおこなった。3週間、社会科の教師として生徒と向き合ったのだ。
この実習の期間に、いろんな生徒と出会った。
名門高校からスカウトが来ていて、俺は甲子園に出て、プロ野球選手になるんだという夢を持ったヤンチャな子。
高校の教師になりたいけど、副業をして稼いでみたいという子。
純粋に、お金持ちになりたい子。
目をキラキラにして、堂々と言い放つ生徒に、ぼくは何も答えられなかった。
ただ、ひとこと「いいね!」という言葉しか、出てこない。
プロ野球選手になる方法も、副業の仕組みも、お金持ちになる方法なんて、なにひとつ知らない。
ほかの教師は、「公務員の副業は、法律的に無理。」、「おまえじゃ、プロ野球選手は無理。」と答えていたことが、どうしても頭から離れなかった。
将来のこと以外にも、「じつは、両親のなかが悪いんだ。」と日々の悩みを、打ち明けてくれた子もいる。
しかし、相槌を打ったり、話を聞くことしか自分にはできない。
実習の最後に、生徒の前に出て話す機会があった。
「ぼくは、中学、高校、大学となにかに向かって努力をしてきませんでした。だから、将来、やりたいことが見つかったとしても、おそらく、もう手遅れだと思います。でも、まだ中学生のみんなは、今から努力すれば間に合うはずです。」
自然と、こんな言葉たちがスルスルと口から、吐き出てきたのだ。
言いたくないのに、まるでダムが崩壊したかのようだった。
この言葉を聞いて、生徒はお礼の色紙に素直な感想を、僕にくれた。
実習の3週間で、親しくなった生徒が書いた言葉。
「何事もあきらめるな」という、言葉が胸に突き刺さった。
色紙に書かれていることは、いまのじぶんの本当の姿を写し出していた。
自分には、頑張れない言い訳をして、ほかのひとには頑張れという。知らないうちに、そんな大人になっていたことに、気づかされる。
中学生の目には、きっと「情けない大人」に見えていたのかな。
僕はこの、教育実習の経験を経て、教師への道から、気付けば離れていった。
理想を求めて
大学4年の夏。
教育実習も終わり、小さい頃になりたくないと思っていた大人になっていることに、落ち込んでいた。
こんな自分は正直、心の底から嫌だったのだ。
背中を見せて、行動できるようになりたい。
けど、じゃあ、どうしたらいいのだろうか。
わからないけど、やりたいことに向けて、諦めたくなかった。
散歩をすることで、学校では学べない大切なことを学んだ。
だから、その良さを伝えるために、ライターをやってみようと思ったのだ。
街を歩いていると、素敵なひとや面白いひとと出会うことがある。
そのなかで、学校や教科書では、知りえなかったことを学ばせてもらった。
自分の経験を、もっといろんなひとにシェアしたかった。
いま、書いているブログもその思いがあったから、チャレンジしてみた。
また、ライターでの活動を通して、いろんな人と出会う。
会うひとたちは、それぞれ、いろんな生き方をしていた。
最初は、理想をもとめて、出会うことを繰り返していた。
けど、正解なんてないことに気づく。
大学4年生も終わりが近づくなか、ぼくは気付けばライター、カフェの店長などやりたいことに、次々とチャレンジしていた。
幼馴染との出会い
小学校のころに少年野球でバッテリーを組んでいた親友に、「うちの会社で修行しなよ。」と誘われた。
いろんな生き方をしている人や、働き方をしているひとに会ってみて、在りたい自分を見失った感じがしていた。
そんなときに、声を掛けられた。
その親友は、中学校を卒業してから8年間、同じエクステリア(外構)の会社で働いている。
ぼくは、大学2年生のころに、この親友と地元でばったり出くわしてから、年に一回だけ、お手伝いとして外構の仕事を手伝っていたのだ。
親友は、仕事にプライドを持っていた。中学を卒業してから、ひとつの職を積み重ねてきたという自信。
やりたいことを追い求めていた自分とは、正反対だと感じた。そして、この親友は人間としての器も大きい。
同じ年齢なのに、圧倒的なキャリアや、人間的な成熟さのギャップに、衝撃を受ける。
ぼくは、いまの自分に足りないものを探すために、親友の誘いに乗る決断をした。
教師からライターへ、そして職人へ。
最初は、心を鍛えなおすという理由だった。
しかし、いまは「人間的な成長」とは何かを探すため、仕事を通して、嫌な自分と
日々向き合っている。
そんな、破天荒な選択をしているにも関わらず、応援してくれる家族や親友、相談に乗ってくれているひとがいる。その、事実を忘れずに。感謝を忘れずに。
「何事もあきらめない」
この言葉を信条に、いまを全力で駆け抜ける。
ふと顔を上げれば。⑥
TRPGの魅力
カリ吉:りひとさんの趣味ってなに?
りひとさん:私の趣味は沢山あって、絞れないかな。この紙にまとめてあるよ!
カリ吉:やっぱ、旅行が趣味なのかー。ねね。りひとさん。TRPGって?
りひとさん:TRPGはね。テーブルトーク・ロールプレイング・ゲームの略だよ。
カリ吉:なにそれ!RPGは知ってるけど。。。
りひとさん:これは、架空世界に生きる人格の行動を通して、物語を積み上げていくゲームだよ。
カリ吉:え、よくわからない。
りひとさん:要するにね、自分たちでキャラクターを設定して、物語を創り出していきます。4人から8人くらい集まると、すんごく盛り上がるよ。
カリ吉:自分たちで物語を作るとなるとさ。終わりがない気がするし、なんでもありになっちゃうじゃん(笑)
りひとさん:TRPGには、モデルとなる物語があります。だから目的や困難が設定されているから、無法地帯になることはないの。私のおススメは『クトゥルフの神話』かな!
『クトゥルフの神話』はアメリカの小説家・ハワード・フィリップス・ラウグラフトが書いた小説。
クトゥルフは神話に登場する架空の宇宙生物。太古に地球を支配していたが、現在に蘇るという内容だ。
カリ吉:なるほどー!なんか、おもしろそうだなぁ。やってみるとハマりそう!
りひとさん:まじめだと思ってた人が急に大声でキレだしたり。ほかにも、男らしい人が急に女々しくなったりして、ギャップがとくに面白いの!たまにやってるから、遊びにきてね。
【カリ吉の編集後記】
たびのすみかには、本当にアットホームな雰囲気が流れていた。
りひとさんは趣味の話になると、熱がこもる。最初はクールな印象だったけど、そのギャップがなんともよくて、忘れられない。
「お客さんの趣味を増やすことが私の仕事」
この発した一言が、りひとさんを表している。
旅行、TRPG以外にも着物が好きなど、たくさんの趣味を持っていた。
話の引出しの多さ、そしてポジティブな考え。
旅のすみかに訪れれば、興味あることに挑戦する、勇気をもらえる。
スマホをみれば、いろんなことを知れる。けど、ネット社会だからこそ、人と会って話せる場所は本当に大事だ。
「やって後悔することよりも、やらないで後悔するほうが、死ぬ前にもっと後悔する」
りひとさんのこの、言葉が強く頭に残っている。
勇気を出して、一歩を踏み出してみよう。
ふと顔を上げれば。⑤
旅のすみか・オーナー
カウンターの向かい側には、旅のすみかのオーナーをやっているひとりの女性がいた。
この方のニックネームは、リヒトさん。
写真を撮られるのは苦手で、ペン書きで似顔絵。もっと、綺麗に書けるように練習しよう。
さあ、久しぶりにカリ吉でも呼んでみようかな。カリ吉―!
古本持ってえらいねえ。昔流行ったゲームの攻略本かな?
ああ、それはね。私の下の名前がヒカリだからです。ドイツ語だとヒカリはリヒトっていうらしいの。
旅は大好きだよ!月に1回は、国内や海外を旅行します。だからお店を空けてしまうときが多いんだけどね(笑)どんなお店か知りたければ、この紙を見れば分かりやすいかな。
ありがとう(笑)このお店をアットホームな感じにしたのはね。私が学生時代だった頃に友達とゲームをやって楽しんだり、ゆったりできる場所が少なかった経験からなの。とくに都内には、そういう場所ってないですから。
私は誰かと好きな趣味を共有して、ゆったりできる場所が好きだからね。このお店を貸し切って、お客さんがコタツを囲んでゲームをやったりするよ!(笑)
どうぞ!(笑) 自由に乗って大丈夫だよ!
このカフェでは、ハンモックも自由に乗れる。乗り心地はぜひ、足を運んで、感じてみてほしい。
次回、リヒトさんの趣味話へと続く。